一日中読書が出来る人はかなり少数派であるが、一日中Twitterが出来る人はよくいるわけである。読書は文脈を押さえながら長文を読むことであるから、それなりの集中力は必要である。本は拾い読みでも楽しみうるのだが、順番通りに読むという常識が強く、一冊を統一的に理解してこそ意義があるという思い込みもある。強迫性障害の症状で、一字一句を完全に理解しないと先に読み進められないので、本が読めないというのがある。強迫性障害は完全な妄想というわけではなく、車に乗っていると人を轢いたのではないかと危惧したり、外出時に火事や泥棒が不安で表に出られないとか、普通の人間が漠然と感じている不安が、深刻な恐怖に発展する病気である。理解できない不安で本に手が付けられないのは、普通の人でも何となくあるのである。集中力を高めてから書物を紐解くべきであると考えられている。読書は、知識を身につけるという目的性が強いので、寝転がって拾い読みするようでは駄目だという固定観念がある。定められたことを学習するという学校教育の理念から言うと、拾い読みという形で知識を摂取するのは邪道であるから、正座して書物に向き合うのが正義であり、拾い読みは悪であるという観念が定着している。RSSリーダーが衰退したのも、全部読まなければならないという強迫観念が大きな理由のひとつである。そのような強迫観念から完全に自由であるのがTwitterである。ツイートであれば140文字だから、まったく集中力を要しない。文字が嫌いで読書など絶対にしない人間でもTwitterを一日中やることは出来るのである。140文字で完結していれば、読書嫌いな人間でも読めるというのは、何らかの画期的な手法であるはずで、教育のスタイルとしてもあり得るわけである。実際は140文字をフルに使うと、「読む」というプロセスが必要になってしまうが、70文字くらいなら、見るだけで瞬間的に頭に入る。だが、歴史の豆知識のbotなどは存在していても、そういうのが幅広く浸透しているとは言い難く、雑談がTwitterの世界を埋め尽くしている。少ない文字数で大著に匹敵するような表現をするという野心的な試みもまったく行われず、一日に平気で何百回もツイートするとか、ひとつひとつのツイートを軽くする方向で発達したのである。俳句や短歌を詠むように、限られた文字数で表現するのは芸術としてありえるのに、そういう表現者をTwitterはまったく生み出さなかった。見るのは一瞬でも、ツイートする方は練りに練ってもいいはずなのに、ツイートする側も、それを見る側も、脊髄反射で動いているのである。これだけ大量のツイートがなされているのに、天才がひとりも生まれなかったのがすごい。一閃のために人生のすべてを賭けるくらいでないと芸術たり得ないが、ひとつのツイートをするために何時間も考え抜いてる人間は世界で誰ひとりとしていない。目的自体が無く、何も身につかないからこそTwitterであり、有意義に使おうとした段階で、読書と同じになってしまう。だから無益なツイートで埋め尽くされるのである。有意義性にこだわるなら、RSSリーダーと同じような義務感に囚われる。まったくの無駄であり、読み損ねても何ら問題がないツイートだらけで成り立っているのがTwitterの世界なのだ。拾い読みで知識を得てはいけないという固定観念は極めて強いから、仕方がないのだろう。







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