かつて三島由紀夫は「金閣寺」でこのように綴った。

人生に於て、永遠に化身した瞬間は、われわれを酔わせるが、それはこのときの金閣のように、瞬間に化身した永遠の姿に比べれば、物の数でもないことを金閣は知悉していた。
美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。
生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない。
それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものをも、滅亡の白茶けた光りの下に露呈してしまうのである。


BABYMETALはかなり危険な存在であろうと思う。
ここまで美しさと歌唱力を兼ね備えたボーカリストはかつて一人たりとも存在しなかった。
橋本環奈くらいの美少女なら、日常性の範囲に留まるからいいのだが、SU-METALは他人を公開処刑するために生きてるようなものである。
他のアイドルはたまったものではないだろうし、それどころか、アーティストと称する女性ボーカリストすべても処刑してしまう。
これだけ突出した容姿と歌唱力をもって実在されてしまうと、もはや害悪を垂れ流す存在である。
あらゆるアイドル、もしくは女性ボーカリスト、もしくはひとびとの人生さえも、つまらないものに変貌させてしまう。
美とは排他的なものであり、誰かが発明した画期的な製品が大衆に行き渡るようなものではない。
おそらくBABYMETALは憎悪されるであろう。
他のアイドルが嫉妬するというレベルではなく、美の排他性からして、誰からも嫉妬されうる存在である。
大谷翔平が160キロ投げても他の野球選手の価値はなくならないが、SU-METALの超越性は、他のすべての存在を塵芥に変えてしまうのである。
美という問題に関しては、その排他的な超越性が、他のあらゆるものを死に至らしめる。
人生のあらゆることが無意味であるというニヒリズムに容易く繋がるのである。
ひとびとに絶望を与えるために存在していると言って差し支えあるまい。
BABYMETALのファンだと公言する有名人がいないのも、賛否両論が生じない完璧な美だからである。
100万人が見たら100万人が認める美なのだから、個人的にファンとして贔屓する必然性がないのだ。
外国人ならまだ他人事のように応援出来るかもしれないが、同じ日本人としては存在して欲しくないのである。
超越的な美がどれだけ排他的に振る舞い、人間に害毒を与えるかは「金閣寺」に長々と書いてあるから、述べる必要もあるまいが、こういう超越者の前では、あらゆる普通の人間の価値が崩壊するのである。
これから他のアイドルやアーティストがBABYMETALにどのような態度を示すのかも興味深いところである。
歌唱力も並外れているわけだから、お世辞を言う余地もないし、接するのがとても困難な対象であろう。
等身のバランスのよさに関しても、170センチを越えているような長身ならまだあり得るのだが、160センチくらいの少女らしい可愛さを保った範囲内で、ここまで美しい立ち姿を実現してしまうと、他の人間に生きている意味はあるのかという、重大な疑問を抱かざるを得ない。
たぶんアイドルは、超越性に手を伸ばすための存在であり、本当に超越的な美が上から降りてきてはいけないのである。
大谷翔平がどれだけ超人的なアスリートになっても、娯楽であるから、人間への否定にはならないが、美は人間存在の根幹であり、決して娯楽ではないから、このジャンルで超人的なことを具現化してしまうと、ニヒリズムしか生まないのである。
これより超越的なボーカリストは空想ですら思い浮かばないくらいのレベルに到達しているのだから、夢見る余地すら奪い取っており、あらゆる人間に対する処刑であるから、絶望しか感じさせない。







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