とても興味深いのは、長期不況に突入してから社交性へのコンプレックスが蔓延し、とどまるところを知らないことだ。社交性とは、いわばゼロサムゲームであり、本人しか得をしない排他的なスキルである。日本人は集団で協調しながらやってきたのである。明治維新で薩摩と長州が主導権を握っても、特定個人の独裁ということは起こらなかった。徳川家康がルイ14世のような権勢を振るっていたかというと、そういうことはない。

その日本おいて、協調性から排他性へという変化が起こったのである。もはや全体を押し上げられないので、一個人が排他的に生き残るゲームになるのは当然としても、たぶん多くの日本人は日本を理想世界だと考えている。「正社員になって小綺麗なマンションに住みたい」とアパート暮らしの非正規が考えているのである。日本は完成された理想的な国であり、しかしたまたま自分が底辺である、という認識をしているのである。そこに階級闘争の意識は一欠片もなく、牧羊犬に誘導される羊のように恬淡と受け入れているのである。

理想的な生活をしているのはアッパークラスだけなのに、なぜか底辺がそれに共感しているのである。たまたま自分の運が悪かっただけ、と考えており、この理想世界に適応できなかった自分をすっかり諦めているのである。バブル崩壊は、第二次世界大戦の敗戦で焼け野原になったのとは違って、先進国の頭打ちだと理解されているし、実際のところそうなのだろう。経済成長で幸福になるという物語は失われた。

バブル崩壊後の女子高生ブームは今日の法律なら明らかな犯罪であり、マスメディアの汚点であるから、回顧されることはほとんどないが、女子の方が社交性が高いのは疑いなく、16歳くらいになれば、偏差値40くらいでもすっかり世慣れている。1990年代は、この女子高生の社交性の高さが礼賛され、宮台真司がメディアに出ずっぱりであった。女子高生は社交性が高いから立派な大人であると主張されたのである。社交性と責任能力を宮台真司は混同していたのである。背景には、一家に一台の黒電話という時代が終わり、個人が携帯電話を持ったことで社交性の格差が生じたことがある。「新世紀エヴァンゲリオン」でも碇シンジの携帯電話が鳴らないことがテーマとして扱われた。

これ以上勉強しても意味がないという意識が浸透している。日本はすでに完成された国家なのである。近代が終了し、その余生のような時間に格差だけが存在している。独身男性の半数が童貞という話もあるが、彼らは決して武装蜂起することはないし、恭順の意を示している。多くの人が新しい理想世界に適応できておらず、少数のアッパークラスが人生を楽しんでいるだけなのだが、この格差を暴力革命でぶちこわそうとする人間はひとりもいない。

AO入試がこれだけ流行ったのも、勉強ができても意味がないというニヒリズムが知識人の中で跋扈したからである。知識人(特に左翼系知識人)の自信喪失が深まり、とても卑屈な態度で社交性に道を譲ったのである。AOに肯定的な人の意見をみると、たいていは恋愛に触れているのが興味深い。大学教授は社交性にコンプを持っているので、世の中にとけ込んで軽やかに生きる若者が、光彩陸離たる煌めきをもった存在として映じてしまうのである。

もはや近代科学や近代文明などに期待してないから、生涯童貞で統一場理論に到達する人生と、道重さゆみちゃんと結婚する人生なら、後者の方がいいに決まっているが、最高の女を抱いたという理由で、生きたまま眼球を刳り抜かれ火掻き棒で打擲されるならともかく、自分だけが生き残るソーシャルスキルを評価されて一流大学に入れるのだから、知性への疑心暗鬼は不治の病なのである。戦後生まれのノーベル賞は山中教授と田中耕一さんしかいないし、現在の大学教授は戦前生まれの知的巨人より圧倒的に劣るので、そもそも誇るだけの知性がないという問題もある。山中教授のiPSも、整形外科医として、患者の目も当てられない傷跡を綺麗にしたいという動機らしいし、容姿面のリストラへの期待の中で生まれた。底辺が武装蜂起しないのは、容姿や社交性の格差は経済的再分配で解決しないと理解しているからであり、近代科学や近代文明にもうんざりであり、意識が都会的に洗練されているからこそ、容姿改善につながらない物理学などなんの意味もないし、数少ないアッパークラスをのぞいて、大多数の出来損ないが、生命の連鎖から退場していくことを受諾しているのである。







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