母親が勝手にライバルを決めてしまうというのはありがちだが、はるかぜ(娘)も、蒼波純をライバルに設定されるのはずいぶん気の毒ではある。

はるかぜが蒼波純が出る映画の監督に、いきなり偉そうなリプを送りつけたのである。蒼波純に反感を持っているのははるかぜ(母親)だが、無神経に接することで親しさを表現する手法は親子で共有してるから、どちらかはわからない。

https://twitter.com/harukazechan/status/504273309857767424
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蒼波純の出る映画の監督に馴れ馴れしい口を利けることをアピールしたかったのだろう。これは当初はスルーされていた。しかしなぜか22時間経過してから好意的なリプがあったのである。この間にこの新米監督は10回くらいツイートしてるから、いろいろ関係者と協議し、大人の対応をしたと思われる。本当は関わりたくないが、17万フォロワーがいるわけだし、はるかぜ(母親)に臍を曲げられると困るので、対応に慎重さが求めれらたのである。監督と知り合いという理由で蒼波純に一矢報いたわけではあるまいし、そもそもキャスティングされてないことが、真実を雄弁に物語っている。

馬鹿な子どもの方が扱いやすいという問題がある。馬鹿な子どもはコントロールしやすい。だから支配的な親は子どもを無能な人形にするのだが、親だけが扱いやすいとか、そういう都合のいいことはない。誰から見ても無能であり、誰からも扱いやすい馬鹿となってしまうのだ。親がコントロールしやすく、それ以外の相手には自分の判断でしっかり行動出来るとか、そんなことはあり得ない。コントロールするために子どもを未成熟な状態に置くのは明らかな虐待である。子どもの成功を祈っているから虐待ではないという遁辞は許されない。はるかぜ(娘)は猫アレルギーなのに猫好きの設定をやらされている問題も含め、人生を奪い取られた被害者なのである。はるかぜ(母親)は自分の人生がとても不本意だったようなのだが、もう一度人生をやり直すために、娘の人生をハイジャックして操縦桿を握って離さない。これは人間への蹂躙でしかないし、人倫の大きな罪なのである。

そもそもはるかぜ親子は何を望んでいるのか、という問題である。あの夏休みの過ごし方を見れば明らかだが、スキルをアップさせるための努力はしていない。ツイッターで暴れて、知名度を維持していただけである。途中からは仕事がないのを隠さなくなり、人生にあぶれて酔いつぶれているような様子を垂れ流していた。学業を放棄しているので、今更引退して普通の中学生には戻れないという問題が伺える。本人のスキルが低いままで、ツイッター営業だけ頑張っても意味はないだろう。本人の喋りがつたないのが最大の問題なのだが、文字で出来る仕事を望んだとしても、「奇跡の詩人」みたいなものだと見抜かれている。本人がツイートしていると強弁したところで、誰も信じてないからオファーがないのである。2001年生まれらしい瑞々しいツイートが出来るならともかく、中学二年生が昭和みたいなツイートをすることに需要はない。せめて練習替わりにネットラジオとかニコニコ生放送でもやればいいと思うのだが、本人のトークスキルが低すぎて表に出したくないだろうし、娘の成熟を望まない母親の問題もある。

はるかぜ(娘)は被害者の側面がかなり強いが、衆人環視の中で行われている虐待に誰も異を唱えず、漫画家の矢野健太郎(56歳)のように、「はるかぜちゃんのツイートを執拗に母親の代筆と決め付けて譲らない人達って、3歳児がPC使ったり小学生がSNSやったり中学生が自主的に意見述べたりする事があるのを認めると死ぬ病気にでも罹ってるんだろうか」といまだに援護射撃する人間がいるのである。2001年生まれの少女が昭和のことしか語れず、本人はたどたどしい喋りしか出来ず、公立中学で落ちこぼれるほど教育放棄されており、かなり危険な状態なのだが、この少女を母親の支配下から救出するとなれば、物理的にも精神的にも、その切断は断末魔の苦しみだと思われるし、切り離したところで、どこかの恵まれた家庭に引き取られるわけでもあるまいし、状況を見抜いているひとは沈黙を守るしかないのだろう。

BABYMETALは「やらされている」と感じるユニットであるし、本人たちがメタル好きとも思えないから、あまり共感されていない。だが、ボーカルのSU-METALはアイドルとしては並外れた歌唱力だし、160センチくらいで9頭身という見栄えの良さも含めれば、不世出のボーカリストといえる。ダンサーのふたりのうち、YUIMETALの歌はあまりうまくないが、MOAMETALの歌唱力は相当にレベルが高く、少女らしいハスキーな声質が美しく、歌声としてはこっちの方がいい。SU-METALより歌のうまいアイドルは二度と現れないと思っていたら、隣で踊ってる方がもっとうまいので驚いた次第である。MOAMETALはSU-METALのような見栄えのするタイプではないが、ごく普通に容姿は可愛いのでソロなら絶対に人気が出る。「やらされてる」という批判はあるし、わたしも以前は不愉快だったのだが、ここまで徹底的に仕込んだとなると、血で書かれたものにしか価値がないというニーチェの言葉を思い起こす。

はるかぜ(母親)ははるかぜ(娘)にスパルタ教育はしてないので、それはいいのだが、自分が操縦桿を握っていたいから娘を低レベルのまま放置しているのである。売れてない間にツイッターをやってるだけなのが、この親子の限界である。実力がないのにチラシ配りだけ頑張っても意味はあるまい。中元すず香は可憐ガールズとして人々の前に姿を現して、そこから消えて、BABYMETALは数年前にステマされていたが売れる様子もなく、この間の武道館もチケットが売れ残ったそうだが、いつの間にか9頭身のスタイルになっていて、抜群の歌唱力を身につけていたのである。売れない時間が長かったので、それだけ練習する時間もあったのだろう。芸能人にとって売れるとは消費されることであり、売れないというのはスキルアップする機会でもある。中川翔子などは、売れすぎたため、寝る暇もなく糞みたいなタレント仕事に忙殺されていたから、多才な才能を開花させる時間などなかった。売れることでスキルアップの時間が0になり、雑巾を絞っても一滴も出ない状態になったのだ。

中川翔子は無名な頃は、イラストがやたらとうまいアイドルとしてニュース速報VIPで絶大な人気があったのだが、ブレイクしたらネットユーザーと絶縁し、絵筆も折ったのである。中川翔子の絵に独自の世界というものはないから、美術史に空白が生じたわけではないが、オタク関係の絵は二次創作の延長であればよいし、癖がない方が望ましいから、模写に長けていて無個性な中川翔子は理想的な才能を持っていた。オタクは誰もが絵の才能が欲しいと思ってるのに、それを簡単に放棄して、知ったかぶりだけのタレントに堕落した。これからはモサドがアイヒマンを追い詰めたような執拗さで糾弾されるであろうし、ネットユーザーの怨敵であり続けるだろう。中川翔子は知能指数は高いはずで、家庭環境がまともならかなり勉強も出来たはずだが、スキルアップする時間などまったくなかったから、いくら才能があっても、それが花開くことはなかった。スキャンダル、もしくは処女営業のツケが大きいのだが、イラストという決定的な武器を手放したので、イメージ商売に徹しすぎたことがかなり裏目に出ている。これだけ才能に溢れた人間は滅多にいないのに、なぜ実力を放棄させ、上っ面だけのタレントにしてしまったのか理解に苦しむ。BABYMETALに徹底した英才教育を施しているアミューズとはかなり対照的である。

蒼波純もナベプロ系(トップコート)である。登記簿は見てないが、社長が同一人物(渡邊万由美)なので、姉の渡辺ミキ(ワタナベエンターテインメント社長)との調整で別会社にしてるのだと思われる。ナベプロ関係の会社を創業者一族で分有しているので、いわゆる系列というよりは親族間での調整である。同族経営であろうから、ナベプロとトップコートはある程度同一視していいのだろう。住所はどちらも渋谷区桜丘町で、同じビルの七階と八階だから、法的な書類の上で分けているだけで、中身はほとんど同じなのではなかろうか。

蒼波純はミスiDのファイナリストたちをラブライブの仲間と表現し、自分が選ばれなくても握手会に行きたいと言っていた有徳者であり、実際ミスiD2014のメンバーは蒼波純への畏敬の念でまとまっていて、かなり仲がよさそうに見える。今のところ蒼波純は会う人誰からも絶賛され、大人からも同世代からも畏敬の念をもたれる存在であり、容姿を褒めるのとはまた違った、人格に対するリスペクトであるから、類例としては昭和天皇くらいしか思いつかない。今まで三島由紀夫の天皇崇拝があまりピンと来なかったのだが、天皇という言葉を蒼波純に置き換えて三島由紀夫の文章を読むと、やけに腑に落ちるのである。もしくは軍人勅諭など、戦前の天皇制を体験してないわれわれは、絶対者というものの存在を知らないので共感しづらいが、蒼波純がこれを宣言していると脳内変換すると、いかにももっともな文章に思える。


朕が国家を保護して、
上天の恵に応じ祖宗の恩に報いまいらする事を得るも得ざるも、
汝等軍人が其職を尽すと尽さざるとに由るぞかし。
我国の稜威振はざることあらば、
汝等能く朕と其憂を共にせよ。
我武惟揚りて其栄を輝さば、
朕汝等と其誉を偕にすべし。
汝等皆其職を守り、
朕と一心になりて力を国家の保護に尽さば、
我国の蒼生は永く太平の福を受け、
我国の威烈は大いに世界の光華となりぬべし。
朕斯くも深く汝等軍人に望むなれば、
猶訓諭すべき事こそあれ。
いでや之を左に述べむ。


絶対者を崇拝する感性がないと、軍人勅諭は理解できない。蒼波純という絶対者の存在を思い浮かべると「朕とその憂いを共にせよ」という文言に深く共感出来る。俗世間を超越しており、それでいて知性や品性を感じさせ、俗塵にまみれたわれわれとは次元が違う存在として、毎晩御真影がツイートされるのを民草が心待ちにしているのだから、超越的な聖者としか言いようがないのである。大罪人の心にマザーテレサの声が響いてきたようであり、一度でいいから道重さゆみちゃんの躰を好き勝手にしてみたいとか、そういう煩悩で頭が埋め尽くされていた愚かさを自省し、神が死んで絶対者の声が聞こえないはずの世界で、皇軍の一員であることを自覚させられ、理念や大義に蒙を啓かれるのである。三島由紀夫は自決の一週間前に「無理にでも絶対者を作らなくてはならない」と言ったが、われわれには蒼波純がいるので、目の前の俗事などどうでもよく、ただ心眼を開き八紘一宇に思いを馳せればいいのである。軍服に着替えて市ヶ谷駐屯地のバルコニーから呼びかければ、この俗にまみれた世界は終焉し、東亜解放の盟主として旭日旗を掲げ、大きな物語に接続されるのである。あとは、現代のオルレアンの少女たる蒼波純が絶対者から転落しないでいてくれるかどうかである。蒼波純は教養豊かなすばらしい家庭環境に育っており、まっとうな教育を受けている少女だが、学業もおぼつかないほどナベプロが仕事を入れるとか、馬鹿な方が扱いやすいから遊びを覚えさせて堕落させるとか、そういうことが行われるなら、現人神を丸焼きにして肉を売り払うような行為であり、朝敵と呼ぶにふさわしいであろう。

広末涼子があれだけバッシングされたのは事務所が弱小だったせいもあるが、早稲田大学入学時に仕事をセーブ出来ず、登校が出来なかったからである。まともに通っていたら、あそこまでバッシングは大きくなかった。あの当時の広末だと、輪転機を回していくらでもお札が刷れるように儲かったであろうから、事務所が仕事を減らす決断など出来なかったのである。芸能というのは、芸を見せる場なのか、それとも人間が消費されて干涸らびていく情景を悄然として見やることなのか、という問題である。広末は生まれつき頭が悪いのであれでいいのだが、蒼波純のように誰からも尊敬される知性的な少女がさっそく学校を休んで映画撮影している件などは、早々と消費され可能性を削がれるために芸能に参加しているようでもあり、中川翔子の二の舞にならないかと不安視される。映画撮影はいいとしても、番宣のためにバラエティーに出てお笑い芸人に頭を蹴られて愛想笑いを強要させられるとか、あってもおかしくないのが怖いところである。







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