この世界は、苦しいことだらけで、ひとつひとつの行動選択のたびに、砂を噛むような思いや、生涯忘れ得ないような傷を負わなければならないという理不尽さがあるのだが、では、トラウマを完治させる薬があったらいいかというと、それは存在してはならない。そういう薬があったら、人間は成り立たないのである。たとえばわたしが道重さゆみちゃんを陵辱しようと考えたとする。通常なら、いくらなんでもそんな畏れ多いことは、わたしが皇帝になってもやるまいし、ユーラシア大陸のすべてを麾下に収め、すべての人間がわたしに隷従するとしても、その最後の聖域だけは手をつけないだろうし、どれだけ眷恋しようが、絶対に関わりを持てない対象が存在するという苦しみを生きるであろうが、しかし、仮にトラウマを完治させる薬があるならやってもいいだろう。道重さゆみちゃんの精神を扼殺するような真似はしたくはないが、トラウマが完治する薬があるとしたら、どれだけ精神的な傷を負っても全快するので、さして問題はない気がする。トラウマを完治させる薬が出来たら、他人に何をやっても差し支えない。どのような精神的な傷も全快するので倫理という課題もなくなる。物理的に扼殺するのはまずいが、精神的に扼殺するのは何ら問題がない。死んだ魚のような目になっても、薬を飲めばその双眸に煌めきが戻るのである。こう考えると、トラウマを治す薬はないのである。これは因果律を変更させる薬なのである。たぶんいろんな苦しみは因果律を守るためにあるのである。人生において生じた因果が確定的な記録として歴史的に残るからこそ、人間は存在し得るのである。他者との因縁が刻々と記録され、それが屈辱やトラウマとして現在という時間に再帰するからこそ、人間は時間的に存在している。屈辱を反芻し、トラウマがぶり返してくるからこそ、過去は確固とした形で、われわれの目の前に映じてくるのである。トラウマを完治させる薬があったら、一週間前に見た夢を覚えていないような状態になるので、これだと過去と未来を背負いながら時間的に存在することは出来ない。ここで「時間的に存在する」と言っているのは、連続性と同一性を保ちながら存在するという意味である。何があっても薬で完治するというのなら、過去を背負う必要がなくなり、毎晩違う夢を見るように、毎日が別人だから、人生を通して同一人物だとは言い難いのである。これだと、瞬間瞬間が切り離されているのだから、経時的な存在とは言えないのである。連続性がないとまずいというか、存在する意味がないのである。今からわたしが記憶喪失になって、たまたま明日から道重さゆみちゃんと恋人になって、結婚できたとする。しかし、そういうことだと、時間的な連続性を欠いており、存在の同一性もないから、どこかの誰かが道重さゆみちゃんと結婚したのと同じようなものであり、このわたしの夢が叶ったとは言えないのである。だからこれからも苦いエピソードはそれぞれの人間の歴史に刻まれるのであり、深いトラウマには緋色の線が引かれて、その血まみれのにおいを強調しながら、現在の自分に向けてフラッシュバックするのである。







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