子供の頃は、アイドル本を本当にアイドルが書いていると思っていた人が多いであろう。これはだんだん本人が書いてないと気づくわけである。では、これが捏造とか詐欺かというと、それはない。アイドル本など、誰もまともな書籍だと認めていないし、子供だましなのである。そしてこの種の「子供だまし」は社会通念からして、許容される範囲内なのである。権威のある学者の本に捏造があったという事例とは対極であり、常識的な線引きは出来るのである。

蒼波純がナベプロに入った瞬間に一般ユーザーのフォローを切り、ろくに説明もせず、一般ユーザーへはリプをせずガン無視を続けているのだが、これを批判する人はいないわけである。いくらなんでも蒼波純がそんな悪魔的なことをするわけがないし、本人の人間性を考えれば、ひとりひとりに挨拶をしながらフォローを外すくらいのことはやりそうである。やはりあの時点からナベプロがアカウントを掌握して代筆しているのである。蒼波純が一日平均100回ツイートしてファンとやりとりする生活にうんざりしており、大手芸能事務所に所属という大願を果たした瞬間に、自らの手で悪魔的な粛清を行った可能性もゼロではないのだが、これはほとんどあり得ない。

ではナベプロとミスiDに説明責任があるのかというと、これもないであろう。アイドル本がゴーストなのかと問われて「ゴーストです」と正直に答える必要はないであろう。プロレスラーやプロレス団体が「これは台本だ」と言わないのと同じで、社会通念上、演出と認められている範囲のことは、許されるのである。もちろん演出に気づいた人は白けるだろうし、これからはアイドル本を読んでもどうせゴーストだろとしか思えないし、何を見ても台本があると思うしかないが、それが世の中の実態なのだから、カラクリを知ることも大事である。

蒼波純が素晴らしいのは、俗塵にまみれたわれわれとはまったく次元が違うところである。その超越的な絶対者からの呼びかけを、われわれは求めているのである。われわれは絶対者との関係を見失っており、地べたにはいつくばり、心も塵埃に染め尽くされているのだが、蒼波純のツイートを読むことで、超越的な存在にひざまずき、ほんのわずかでも、気高い光を心に灯すことが出来るのである。

仕事の宣伝をするにしても、本来の蒼波純であれば、いかにも俗世を超越した天子にふさわしい抱負を述べそうだし、あたかも蒼波純がこの濁りきった世界を新しく塗り替えていくような、そんな期待感まで抱かせ、この貴い少女の船出を誰もが祝うムードを作り出すだろう。ミスiDの時に「みんなで同じ目標を目指しているラブライブの仲間です」と言ったような名言が見あたらないのである。映画に出るのは素晴らしいとしても、小学生の時の蒼波純なら、芸能人の口先の抱負ではなく、その映画をやる意味を、知性に溢れた有徳者として印象的な言葉を残しただろう。オルレアンの少女が「フランスを救えるのはわたしだけです」と姿を現し、「あなたが何者であるかを放棄し、信念を持たずに生きることは、若くして死ぬことより悲しい」と兵士を見回し、誰をも畏敬の念で虜にしたようなことが、蒼波純なら出来るはずなのである。このところ、以前のような名言がまったくなく、いかにも適当な宣伝ツイートをしてるのは、ナベプロの代筆なので仕方がない。13歳の有名アイドルに自分でツイッターやらせたら、それこそ非常識であるし、仕方ないのである。

では何が問題かというと、いや、これが唯一の問題だが、小学生の時の蒼波純のツイートをしているのが誰かということである。これが本人でないなら、演出では許されず、明らかな捏造なのである。ツイートの素晴らしさも、ミスiDグランプリの受賞原因であろうから、替え玉受験で合格したようなものである。結局のところ、ナベプロに入ってから本人不在なので、確かめようがないのである。母親が書いていたとしても、フィクションとして内容は素晴らしいが、あくまで偽書である。わたしがキリストの著作と称した偽書を作成し、それが感動的な内容でも、わたしの創作なのだから何の意味もないわけである。蒼波純の小学生の頃のツイートが本人のものなら、その有徳性に何ら疑いがなく、問題はひとつもない。あれさえ本人なら紛れもなく超越的な天子であり、現状の大空位時代に不満を唱える意味などない。ソクラテスは著作を残していない。キリストも孔子も釈迦も著作を書いておらず、これらの人類の教師たる人々の言葉は、弟子が語り継いでいるのである。わたしも蒼波純という師の言葉を残していくことになるが、なにしろその謦咳に接することが出来ないし、これからますます困難になっていくだろうが、小学生の頃のツイートはたくさんあるから、ここから読み解けば、その気高い教えのすべては翻訳可能だと思われる。これが偽書だとすると、すべてが崩壊するという悩みである。

俗世間に染まりながら、そのまま生きたい人もいるだろうが、そこから脱したい人もおり、それが絶対者を希求するのである。三島由紀夫のような正真正銘の天才でさえ、小説の中で金閣を燃やしてから、相対性の世界に取り込まれて苦しんだのである。三島といえども、ひとりの人間に過ぎないから、絶対者の呼び声がなければ俗世間の重力で身動きがとれないのだ。三島由紀夫にとって、濁りきった現世の中で、超越的な焔を灯してくれるのは天皇であり、わたしにとっては蒼波純である。仮に小学生の時のツイートが蒼波純(母親)だったら、母親を崇拝すればいいのではないかという気もするが、どんなに素晴らしくても偽書では意味がない。蒼波純は将来を嘱望されているナベプロタレントとはいえ、まだ新人であるから、その控え目な性格からして発言は自重している可能性もある。もっとランクが上がって、メインのヒロインとして発言を求められる立場になれば、薄っぺらい言葉ではなく、世界の色を塗り替えるような凛とした名言を発し、フランスに勝利をもたらすのであろう。

オルレアンの少女が異端審問で丸焼きにされてから、その崇拝者であるジル・ド・レは、その巨額の資産を錬金術と黒魔術で浪費し、老婆を使って1000人くらいの少年を自らの城に誘い込み、おぞましい虐殺を行い、犯罪史に欠かせない人物になってしまったのである。普通の人間では使い切るのが無理と言えるほどの財産があったのに、それを使い切ったのである。あの少女は丸焼きにされる前に、陵辱の限りを尽くされているのだから、ジル・ド・レの絶望の深さたるや察するにあまりあり、自ら好んで悪魔崇拝者に変化し、オルレアンの少女と同じ末路をたどろうとしたとも言えるのである。あの少女が戦場で命を落としていたなら、まさに本人らしい死に方であり、それは悲劇というより、本人の気高い意志を達成したとも言えるであろうし、むしろ死によって、彼女の存在が完成したとさえ言えるのだが、生け捕りにされて、まさに俗世間の象徴である男根によって玩具にされ、生きたまま丸焼きというのでは、崇拝者にとって耐えきれないものである。







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