漫然とツイッターをやってるとブログが書けなくなるという現象がある。時間というのは撤回不能性が特徴であり、すべてのなされたことは撤回は出来ないのだが、自分しか知らなければ撤回出来るわけである。費やした時間は取り戻せないので、時間を無駄にしたということは撤回出来ないが、公開前であれば、書いた内容を削除して葬り去ることは出来るわけである。頭の中でいろいろ考えながら、浮かんだ考えを取捨選択していくのが思考なのであるから、頭に浮かんだ端から公開ツイートしてしまうのは、その廃材の重みで身動きできないことになるのである。人間が物事を深く考えようとするならツイ消しが基本なのである。頭に浮かべては削除していく作業である。伸ばした枝をバッサリと切るようなことが必要なのである。公開ツイートしてからツイ消しして発言を二転三転させると、それは人間の思考プロセスに則っているのだが、他者との関係性において明らかに顰蹙を買う行為である。「思考」と「思考の表明」を明確に意識することはあまりないが、これは決定的な違いがあるのである。思考を表明したからには、それは他者と共有する時間性の中で、思考を刻み込んだということなのである。その時点における動かぬ最終結果として発表したということなのである。時間は途切れることなく流れていくが、自分の中で時間が無駄になる問題と、世界とリンクさせたために撤回出来ない問題は分けて考えなければならない。ツイッターという、下書きをしないで公開ツイートする仕様は、思索とは対極のものなのである。われわれは発言の統一性を期待されて世界に存在しているのである。誰がどういう考えを持っているかというのは、事前に把握されている。聞いてみるまでは答えがわからないというのでは、世界は存在し得ないのである。自分の知り合いに何かを問うとして、どういう答えが返ってくるかは、だいたい予想が付くわけである。その予想が的中するわけではないが、ある程度予想可能になっているのが世界のルールなのである。一人の人間には一つの思考というのが役割として期待されている。こういうルールに従うことで存在しているのだから、すでに表明してしまった考えに縛られるのは当然なのである。下書きとは「思考」と「思考の表明」を切り分けることであり、それによって長時間の思索が可能になるのである。一度書いてから、少し寝かせてもう一度読んでみることで、検討することが出来るのである。ツイッターは早指し将棋のようなものであるから、たまに余興としてやるならいいとしても、それが常態化したら、長考することは出来なくなる。下書きの重要性を考えると、それを排除しているツイッターは愚民化ツールと言って差し支えないのである。ツイッターが俳句や短歌のような文化的発展を見せないのも、下書きをしないで思考時間0でツイートしていることと関係があるだろう。







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