チェ・ゲバラは五人兄弟の中でひとりだけ異質であったらしく、聖者たるべく教育されたわけではない。他の四人の兄弟は普通のラテン系の人間であるのに、なぜかチェ・ゲバラだけが物質的な幸福を蔑み、人類救済にすべてを捧げるようなパーソナリティーを持ったのである。これは大いなる謎としか言いようがない。ゲバラはかなりの音痴であり、音楽を理解出来ないレベルだったとも言われる。音楽を楽しめないという障害が、ラテン・アメリカ人らしからぬ気質を生み出したと想像することも可能だが、いずれにせよ、決定的な理由はないのである。ただひたすら俗世間に関心が無く、人類救済だけに興味があったのである。

ゲバラのわけのわからなさは、カストロの盟友としてキューバ革命に成功し、カストロと仲違いしたわけでもないのに、キューバ革命から6年後に再び、革命運動に身を投じていることである。ゲバラはアルゼンチン人であるから、キューバでの居心地が最高というわけでもなかっただろうが、余生を享楽できる立場であったのも確かだ。身長2メートルのカストロならともかく、170センチくらいで喘息持ちのゲバラのこの戦士としての情熱は凄まじい。最終的には39歳の時にボリビアのジャングルでゲリラ活動をしていて捕縛され、銃殺によって生涯を閉じたのである。自分の人生の幸福に関心がないという姿勢は生涯貫かれたのである。

自分の人生への無関心というのは、偉大な人間の多くに見られる性質である。なぜか自分のことより、人類救済に関心があったりするのである。モラルを超越した次元で自分の人生に無関心なのだから、人格者という言葉では片付けられない。ゲバラにしても40近くなってもキューバでの地位を捨てて革命運動をやって、飢え乾きながら戦塵にまみれ、銃殺されるところまで突き進んだのだから、親切なおじさんということでは説明できない。利他性というよりは、理想主義の極みなのである。他人のため、ではなく、理想世界への憧れの強さであり、そのためにはどのような苦難も厭わないのである。

道重さゆみちゃんはモーニング娘。をやめたら還俗して、普通にいろんな相手と恋愛したりする人生を過ごすのだろうと思っていたのだが、卒業後は休業と発表している。つまり今度の武道館でも、最終の横浜アリーナでも、今後については未定という説明がされるだけで、方向性については不明なまま卒業して休業となるのである。たぶん道重さゆみちゃんは理想的なアイドルを、自分のためではなく、そして必ずしもファンのためではなく、ゲバラには遠く及ばないにせよ、少女らしい理想主義者として追い求めたのであり、だからこそ、ファンからも共感されたのである。ファンのためだと口癖のように言うとしても、ファンに媚びたから支持されたのではなく、何よりも道重さゆみちゃん本人が、理想主義者として、アイドルという存在に強い憧れを持っていることが好ましかったのである。ゲバラくらいのガチなら、これから修道院に入るべきだが、誰もそこまで求めていないだろうし、ボリビアで銃殺刑に処されることも求めていない。鞘師里保は死ぬほど可愛いけれど、道重さゆみちゃんのような理想主義者ではないし、ここで断絶する、というより、誰も真似できないのである。道重さゆみちゃんは、理想主義への感受性が人一倍あり、偉大な人間の系譜に連なる資格の持ち主だったのだ。「自分のため」とか「他人のため」という概念は、個人個人がエゴを持って存在し、境界線が引かれていることを前提としており、これこそが通俗性の根源なのだが、そのような俗塵にまみれた俗世間の発想を超越し、道重さゆみちゃんはただひたすらアイドルという超越的な存在に崇高な憧れを持ち、その憧れのためなら、自らを殉教者として捧げるのも厭わなかった。自他として分断された通俗世界を超えて理想世界を目指したのだから、人類愛としか言いようがないのである。







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