世界人類すべてが道重さゆみちゃんを美人だと思ってしまう難題がある。わたし以外のすべての人間が「見るに堪えないブス」と石を投げてくれれば、やむを得ず、這々の体でわたしのところに来る可能性だってあるわけである。しかし、人類は美的観念を共有しているので、好みの差はあれど、美人は誰が見ても美人なのである。

そして、よくよく考えると、このような美的観念の共有が文化を創っているわけである。美しいと感じるものが共通していることが芸術の根幹である。文化が一代限りで終わらず、次世代に引き継がれていくのは、美的感覚が同じだからである。われわれが先人の業績を参考に出来るのは、五感や美的感覚を共有しているからである。現代とはまったく懸け離れた時代環境であっても、根っこの感覚が同じであると思えば、想像を巡らせ平仄を合わせることは可能なのである。

われわれは人の死体を見ると、とても気持ち悪いと思うし、綺麗に看取られている場合はいいが、腐乱死体や轢死体は嘔吐するしかない。たぶんこれがわれわれの死生観の基本になっているのである。われわれは(医者でもない限り見ることは少ないが)手術で内臓や脳内が見えるのも、気色が悪いわけである。やたらと素肌の美しさに固執し、その中にある臓器を嫌悪するのが、たぶん死の重みなのである。これは人間の美的感覚の問題であり、宇宙普遍の真理とは言えないであろう。

感情に名前が付けるのが可能であるのは、われわれの頭の中が同じだからである。頭の出来の善し悪しはあるにしても、感情の仕組みは同じなのである。「喜び」とか「悲しみ」とか「むなしい」とか言って、その言葉の意味が通るのは、感情が共通しているからである。

同じ音楽を聴いて楽しめるのも、聴覚と脳の仕組みが同じだからであるし、同じ臭いに同じ感想(名前)を貼り付けるのも、嗅覚が同じだからに他ならない。耳障りな音を聞いて嫌な感じがするのは、これも人類の共通性である。

五感とか頭の仕組みが同じだから世界は成立するし言葉も存在し得る。外国語が翻訳可能なのも、それが理由である。国籍や人種が違っていても、五感と頭の仕組みがたいてい同じだから翻訳可能となる。稀に文化独特の風習もあり、なかなか翻訳しづらい言葉もあるが、たいていは翻訳可能なのである。

逆に言うなら、宇宙人となかなか言葉は通じないはずである。宇宙人の五感や、その感覚イメージが地球人類とまったく違うとしたら、そもそも宇宙人が「五感」かわからないし、まったく違う感覚器官で世界を捉えていることもあるだろう。物理的な対象だけなら、言葉を共有出来そうであるし、道重さゆみちゃんという個体に道重さゆみちゃんという名前を付けて、それを共有することは可能であろうが、五感も感情も違うとすれば、われわれとはまったく別の経験として道重さゆみちゃんを見ることになるのである。もしくはわれわれが「ひとつの個体」と認識しているものを、分解して見ているかもしれないし、視覚的に同一である保証は何もない。当然ながら地球人とはまったく別の感想を持つはずなのである。「真理」とは地球人類の間で共有しているものであり、正常な五感なら同一の経験をするというのが肝要なのである。

この自分が、胸くそ悪い他人と同じであると考えるとうんざりするが、自分のコピーがたくさんいても胸くそ悪いはずであるし、胃袋と生殖器が別々なのだから、胸くその悪さは解決できないのである。ともかく感覚や認識が同じだからこそ、「同じ」ものに同じ言葉をあてはめて指し示せるのである。感覚と認識が違えば「同じ」では無くなってしまうので、言葉は成立しない。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング