やまもといちろうは100億円の資産があるという設定で活動しているのだが、このようなRTをしていた。

https://twitter.com/kirik/status/524124866371657728
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われわれの世界では、経歴の自己申告に頼っているわけである。他人の自己申告に疑問を呈するのはなかなか難しい。隣に住んでいる人がグーグルの社員だと自称していたら、ああそうですかと言うしかない。疑ってみるとしても、徹底的な追及などしない。

とはいえ、自己申告で押し通せるのは赤の他人だけである。飲み屋で東大医学部卒の医者だと詐称している客がいるとして、第三者として疑わしいと思っても、その証明を求めるわけにはいかないが、さすがに企業が採用するときは本当に東大卒か確認するであろうし、病院が医師を採用する場合に、本当に医者なのかどうかはチェックするのが当然である。本人がそれを拒めば採用しないというだけである。つまり、経歴のチェックというのは、赤の他人が行うことは出来ず、あくまで採用する時だけに条件を付けられる、とも言える。採用/不採用という問題の時には経歴チェックがあるのだから、社会的に経歴チェックはあるのである。

問題なのは、フリーランスで活動している人である。採用/不採用のプロセスがないのだから、経歴チェックを受けてないのである。どのような経歴を自己申告しても、第三者はその証明を求めることは出来ない。

自己申告した経歴を赤の他人に証明する法的義務はないし、たとえば誰かが東大卒だと詐称しても、採用/不採用という場面でなければ、卒業証書の呈示を求めるわけにもいかないから、疑わしくても放置しておくしかないのである。とはいえ、法的な義務がなくても、立派な経歴を自己申告してフリーランスで活動している人間は、その経歴の信頼性を確保するのが普通だと言えよう。もしくはわれわれとしても、本人が自分で証明しない限り、立派な自己申告には半信半疑の姿勢を取るべきなのである。

自分の人生をフルオープンにして生きている人は歴史上ひとりもいないと言ってよく、誰でも言いたくないことはあるのである。というか、そのような恥の概念こそが個人を形成しているのである。恥じたり見栄を張ったりする感情こそが、自分と他人の間に境界線を張り、われわれの存在を成り立たせている。なんでもオープンにするとしたら、自分の人生を完全な他人事と見なしているということである。特別にやましいところがない人にしても、やはり個人的な事情は秘密にしておきたいのである。このあたりの恥の感情が尊重される結果として、自己申告をチェックできないという問題が発生するのである。採用/不採用という場面ではさすがに経歴チェックがあるので、社会的に最低限の経歴の確認は行われているのだが、それ以外の場面では、他人の自己申告に手出しは出来ない。とはいえ立派な経歴が自己申告されていたら「この人は本当に東大卒なのだろうか」と疑う自由くらいは、当然確保されてしかるべきであろう。自己申告する自由と、それを疑う自由が並列しており、この決着が付かない曖昧性が、自己という秘密の存在を成り立たせてるのである。この曖昧さこそが人間であり、また歴史性であるとも言えるのである。自らの主体性によって世界を理解しているというのは、要は自分の五感の範囲しか把握してないということである。森羅万象を千里眼で見渡しているのとは対極であり、自分の五感の範囲外にあるものは想像や伝聞で理解するしかない。それぞれがプライバシーを隠しつつ、なんとなく探り合ったりしている関係性で、世界は成立しているのである。であるから、他人の自己申告は話半分で聞くべきなのである。こちらから「証明しろ」と言うことは出来ないのだから、あまり真に受けないことが大事である。







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