自閉症の世界的権威であるサイモン・バロン=コーエンは2003年に「共感する女脳、システム化する男脳」という男女の性差についての著作を出版したが、こんなふうに書いている。

この本を執筆するために私は五年以上を費やしてきた。
それというのも、このようなテーマは政治的に扱いが難しく、
1990年代にはとても発表することなどできなかったためだ。
また、男性と女性の心理学的な違いについて、
先入観にとらわれずに議論を進めることが出来るかどうか確信が持てなかった。
それもこの本を書き上げるのを先に延ばしていた理由だった。
さいわい、今ではフェミニストを含めて、
このような問いかけを行っても性差別に荷担することにはならないと
考える人々が増えてきている。
実際にはむしろ確かな知識を得て、
その知識を使ってこそ、性差別主義を排除することが出来るのだ。
私の女性の友人は、ほとんどが自らフェミニストを任じる人々だが、
今こそこのような議論を行うべきだと言ってくれた。
男性の友人も賛成してくれている。


最近になって、ようやく男女の性差を医学的見地から語ることが出来るようになったが、20世紀後半においてはかなり禁じられていたわけである。生まれつきの性差はなく、あくまで社会によって後天的に「男」と「女」が作られるというのが社会科学の立場であった。後天的に男にも女にもなれる曲芸のようなことが可能であると信じられた。世界は東側と西側に分かれていたが、資本主義の側でも共産主義的な発想は跋扈していたのである。フリーセックスで世の中を変えるという進歩的な試みは、西側諸国全般でなされたのである。宮台真司によって作られた女子高生ブームを考えれば、日本も無縁ではないのである。宮台真司に唱道されて児童の頃に身体を売った女は何十万人もいるわけである。買った方はすでに老人であろうし、そろそろ鬼籍に入るのであろうが、女の方は社会科学の犠牲者として今後も五十年くらいはこの日本列島で生きさらばえるのである。2014年の価値観から見ると、大人のフリーセックスとは桁が違う問題であろうし、日本が最も社会科学によって蹂躙されたのである。Winnyの金子さんは無罪を承知で逮捕されたのに、宮台はスルーされたのである。やはり90年代に宮台は逮捕されるべきだった。この当時の法律で裁けないとしても、逮捕した方がよかったのである。宗教が廃れた代わりに人文系の思想が科学に昇格し、共産主義が神として君臨したのだから、人類の精神史において、これほどまでに風紀が紊乱し猖獗を極めた時代はないのである。性的退廃ならいくらでもあったであろうし、貧困家庭の女児が娼館に売られて春をひさいだ事例は数え切れないだろうが、思想を科学だと主張する大学教授が主導して、拉致されたわけでもない女子中高生が自己決定権に基づき身体を売った事例は他にあるまい。90年代に宮台を批判していたのは、ほとんどが保守系の論客であり、進歩的文化人からは歓迎されていたし、民主党政権の時にも菅直人から呼ばれていたし、要は共産主義に親和性のある人間なのである。

性同一性障害のひとたちがカミングアウトする風潮がフェミニズムにとどめを刺したのである。進歩的な思想の持ち主としては、当然ながら、この種のカミングアウトを歓迎しなければならない。だが、性同一性障害のひとたちは、本能的な男とか女の部分に強くこだわっているわけである。身体が男なのに「女になりたい」のであり、もしくは身体が女なのに「男になりたい」と切実に渇望しているのであるから、フェミニズムが否定してきた男女の垣根をくっきりと際立たせる存在でもあったのだ。彼らのカミングアウトを誘発したのは進歩的な思想が広まったからだが、それによって逆に「男らしさ」「女らしさ」が人間の根幹であるというのが示されたのである。本当にジェンダーフリーを貫くなら、肉体が女でありながら「男になりたい」と言って戸籍まで男性にしようとする人間には、説得を試みるべきなのである。性同一性障害の人間は古くさい性意識に囚われているだけで、新しい性の意識を持てば、男女など気にならなくなるはずだ、とジェンダーフリーの思想からは言いうるはずだ。だが性転換を望むのは、なんら思想的背景があるわけでもなく、極めて切実な人間的欲求であるから、その性転換への願望を幻想だと一蹴することは出来なかったのである。それに男として育てられて男の肉体なのに「自分は女である」と言うのだから、性差が後天的に作られるというフェミニズムの思想も成り立たなくなる。

結局のところ、フェミ女というのは、女に期待される社会的役割を放棄したいだけで、本当に女であることを放棄したいわけではない。あくまで家事をやりたくないというのが動機であるから、仮に肉体が突然男性になったら「元に戻せ」と大騒ぎするはずなのである。結局のところ、社会科学は科学ではないという人文系の敗北が積み重なっただけなのである。思想的に人間を改造しようという試みが科学としての色彩を持つならば、それは後世から見て、極めて非科学的で醜悪な絵面にしかならないのである。







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