なぜこの世の中は、死んでも欠点を直さないという強い意識を持った人が多いのかと考えると、自分が選ばれた人間だと考えているからである。出来損ないという有徴性は、選ばれた人間としての聖痕であり、それこそがアイデンティティーの中核なのだから、手放すはずがないのである。天才の多くに自閉性が見られるというのも厄介な話であり、数学も物理もまったく出来ないのに、人格だけはニュートンにそっくりという人間が、この世の中にはたくさんいるのである。また「欠点」という概念は、常識的な見地から見たものである。ニュートンが常識人になるべきかと考えると、そうするべきではないし、個性として扱うのが妥当であると思えるわけである。欠点を直さない人間というのは、自分を特別な人間だと思っているのであり、選ばれた人間の特権として常識を逸脱できると考えているのである。常識人は漠然とした好感を持たれるが、しかし平凡であるのも確かであり、憧れる対象ではない。常識人をお手本にして欠点を直そうとするよりは、変わり者の天才を目指したいと考えるのも、自意識の問題としては自然なのである。明らかに平均より劣っている人間が、自分が天才である可能性にすがることも多々あるのである。死斑だらけの死肉だからこそキリストのように煌びやかに復活すると考えているのだが、そのような自意識はどこかで齟齬を来して破綻するのである。欠点を矯正するとしても、本当に直るわけではなく、あくまで常識人を真似るだけだから、凡人ならではのソーシャルスキルも手に入らない。凡人はひとつの特技なのである。平均的な人間として周囲に馴染める特性があり、常識人としては優れているのである。出来損ないが、表向きだけ凡人の背格好に合わせるのは、場にそぐわない異人が馴染んでる振りをするだけだから、惨めで痛々しいとも言えるし、それなら選ばれた偉大な受難者として迫害されていると考えた方が希望が持てるのであろう。これは主体性の病だから仕方がないのである。人間が70億人いれば、70億の主体性があるはずで、これからもうんざりするほど繁殖していくわけだが、なにしろテレパシーが使えないから、究極的には自分のことしかわからない。自分の脳と他人の脳をケーブルでつなぐわけにはいかないので、他人のことは想像で理解するしかない。それぞれの個人が人類のための使い捨ての道具として自覚を持ち、人類の未来のために唯々諾々と従っている光景も、あまり美しいとは言えず、身の程をわきまえない出来損ないが、鬼籍に入るまで周囲に迷惑をまき散らすだけまき散らし、悪評と借財しか残さないのも、人間の在り方の一つなのであろう。この偏った主体性の仕組みからして、自分のために宇宙が作られたと考えても、さほど不思議ではないし、あらゆる終末思想の根底には、自分こそが選ばれた人間だという妄想があるのである。この大地が灰燼に帰したとき、暗澹たる雲間から一筋の光が刺してきて、自分だけがそれに誘われ、天界へと向かうのである。主体性を暴発させて火柱を上げるのを日課としている人は、そういうメンタリティーの持ち主なのであり、これは人間の宿痾である。







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