言葉とは感染症のようなものであり、言い回しが伝播していくわけである。文法に従って単語を組み合わせて話しているわけではなく、ある程度決まり切った言い方があるわけである。これまで自閉症スペクトラムに対して、「視野が狭い」という言い回しが、どれだけ使われたかわからないが、ともかく使用頻度がかなり高いはずで、この謬見によって、相当な犠牲が支払われているのである。「視野が狭い」というと、まるで、網膜剥離で視野が欠けているみたいではないか。そのような言い方で、本当に伝わると思ってるのか、ということだ。これは誣言を流布していると言って差し支えないのである。ではどういえばいいかというと「周辺視野が狭い」と言うべきなのである。網膜剥離で物理的に視野が欠損している人間には「視野が狭い」と言っていいのだが、見えてるはずのものが見えてないという自閉的人間には「周辺視野が狭い」と言うべきなのである。あなたの前にパソコンのディスプレイがあるとして、もちろん全体は視界に入っているだろう。だが、その一部しか認識してないはずである。虚構新聞というゴミサイトがブームになったことがあるが、あれも、われわれはディスプレイ全体を見てないからである。漠然と見れば、京都新聞に見えるわけである。つまり、ディスプレイ全体を見てるつもりでも、端から端まで寸分の狂いもなく、すべてを認識しているわけではない。見ているのは基本的に焦点を合わせているところであるし、その周辺は眼球に映っていても、さほど見えていない。この「周辺」の認識率は、かなり個人差があり、基本的に周辺視野がしっかりしているとソーシャルスキルが高い。逆に焦点を合わせたところ以外はほとんど見えていないようだと、アスペルガーの疑いが持たれるわけである。右側を見るとして、左側がお留守になるのでは、それは周辺視野に問題があるのである。右側を見ているなら、左側がはっきりと見えてないのは誰でもそうだが、周辺視野がしっかりしていれば、左側もそれなりに見えているはずなのである。この問題を根本的に解決するのは難しいとしても、「周辺視野が狭い」と気付くだけで、それなりの対処法はあるのである。焦点を合わせたところだけを見て、周辺はさっぱり見えていないのが自閉症スペクトラムの特徴であるが、せめて問題点に気付けば、出来るだけ視野を広く取るような工夫は可能なのである。辺鄙な田舎で山伏として山野を跋渉しているなら、周りが見えて無くても問題ないだろうが、他人がいるからには、周辺視野で視界の隅の方まで把握しておくことが必要なのである。生まれつきの能力差はあるのだが、欠陥に気付くだけで周辺視野は広がる。







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