津田大介がなぜ一部の人間から支持されているのかと考えると、発達障害の対極の人間であり、自閉性がないからである。新自由主義的に好ましい人物なわけである。ここで疑問なのは、一パーセントの人間だけが勝利者になるような新自由主義を、なぜ喜んで支持しているのかという問題だが、それに自覚があるかないかという話である。津田のようなソーシャルスキルがあれば、本人が得することは間違いないのだが、あまり他人の役に立ちそうにはない。だが「無能な味方」の対極であるから、味方に付けば望ましい人物という認識なのであろう。発達障害者は無能な味方になりやすく、その無能さが著しく害をなすこともあるわけである。このあたりが新自由主義が生み出している発想なのである。共同体の観点から見れば、発達障害者の方が扱いやすいという側面もあるのだが、個人主義的に見るなら「無能な味方」としての側面がクローズアップされる。ソーシャルスキルの高い人間に収奪される分には構わないが、無能な味方に足を引っ張られるのは許せないという価値観なのである。おそらく第三次産業の割合が増えるに従って、発達障害者が足を引っ張る頻度が高くなってるのだと思われるし、もしくは、熟練労働より単純労働の方が注意力が求められるという問題でもある。単純労働は馬鹿(自閉)だと出来ないのである。発達障害者の無能さ(自閉性)への怒りが湧きやすい時代なのであるが、だからと言って、ソーシャルスキルが高いタイプの人間がわれわれに恩恵を施してくれるわけではないのである。ソーシャルスキルはいろんな意味で排他的である。米国の新自由主義の経済格差を見れば明らかであるし、女の分配にしてもしかりである。実際にはソーシャルスキルはかなり排他的であり、お人好しな側面は一欠片もないのに、なぜ味方のように錯覚されているのか、というのが不思議なのである。無自覚にソーシャルスキルを過大評価している人が多々見られるし、AO入試などは、発達障害の排除が政治的な正しさと受け取られている側面がかなりある。発達障害というのが、障害者というよりは、なにか父性的な権力の残滓と思われている節もあり、これを叩き潰すことになっているのである。抜け目のないソーシャルスキルこそが権力を打ち倒すという図式は確かにあるのだが、その自由な競争で出し抜かれている負け組が大半である。自由競争で自分が負けても自由を支持するという確固たる決意があるならいいのだが、何も考えずに社交性を美化している人間が多すぎる。津田が味方に付いたら便利だと思うが、こいつはお人好しじゃないし、他人に手を差しのべてくれるような人間ではない。津田がコミュ障をサポートしてくれるとか絶対にない。あくまで新自由主義を体現した人物だという理解が必要である。







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