気が強いとは何かというと、他人を完全に馬鹿にする姿勢である。
これは一片たりとも隙があってはならない。
わずかでもお人好しな側面があると、そこからつけ込まれるので、どこまでも徹底的に踏みにじり馬鹿にすることが必要である。
たとえば亀田興毅のような人物を思い浮かべて貰いたい。
猿と対峙した時に人間が感じる恐怖である。
朝日新聞的には偏差値が高いと人格に問題があることになっているが、実際には偏差値が低い学校に入りたい人はいないわけである。
コンプレックスと恐怖を勘違いしているのである。
東大卒にコンプを持つという問題と、DQNに恐怖を持つ問題は混同してはならない。
たとえば江田憲司みたいに人を完全になめてるエリートがいるわけだが、恐怖かというとそうではないわけである。
自分が馬鹿にされるシチュエーションを思い浮かべれば、相手の偏差値の低さこそが恐怖なのである。
人間を見透かしている野性の視線が怖いのであり、われわれはどこまでも突き落とされ踏みにじられる不安を抱くのである。
なんか許して貰わないと永遠に解除されないような不安である。
気が弱い人間は、他人を完全に馬鹿にするというメソッドを知らないのである。
馬鹿にされても平然としているためには、自分としても、他人を馬鹿にする姿勢が必要なのであるが、これは教わることがないわけである。
他人を馬鹿にするために、優れている必要はなく、むしろ劣っていた方がいいくらいである。
知的コンプを与えるためには江田憲司くらいの経歴を積む必要があるが、恐怖を与えるためには、人間を馬鹿にしている亀田の姿勢があれば充分なのである。
またさらに論を広げるが、根っこにあるのは人に嫌われたくないという不安の問題である。
この不安がある人間にとって、完全に他人を馬鹿にしている猿というのは著しい恐怖なのである。
嫌われても何ら問題がないという居直りを身につけない限り、この不安は除去できないのである。
優秀な人間は気が強いというのは誤解であるし、むしろ劣ってる人間の方が気が強い。
何の取り柄もないのにやたらと気が強い人間というのは大量に存在する。
これはDQN同士で馬が合うという問題も関係しており、実は嫌な奴の方が仲間がたくさん出来るのである。
ひとから好かれたいというのは奴隷根性でしかないという悲しい真実である。
世の中は好感度で動いていないという問題である。







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