子どもに責任はないという決まり文句をよく聞くのだが、いつどこでそれが決まったのかよくわからないし、国会で採決したわけでもないのに妙に力を持っている言説である。「子どもに責任はない」という論理に従えば、ユダヤ人に気を遣うこともないし、イスラエルも片付けられるのだが、人間は歴史性を持った存在であり、自分が生まれる前のことに責任を負うという考えもあり得るし、少なくとも差別問題に関しては、世代を超えて引き継ぐことになっているわけである。

宮台真司の過去の行状を現在の法律で裁くなら死ぬまで刑務所で過ごして貰うことになるが、法律は遡及しないので法的には無罪である。だが宮台が学匪であるという誹りは免れまいし、これだけ罪の重い人間はいないのである。女子高生とやってみたいというのがわれわれの本音だとしても、彼女たちは使い捨ての存在として生きているのではない。「自分の娘だったら」とか「未来の自分の恋人だったら」とか「未来の自分の嫁だったら」と、そういう可能性を考えることで、社会に同居しているのである。無論われわれ個人はそこまで立派に考えていまいし、取り締まる法律がないなら、社会がどうなろうが、若さの保証付きの安価な売春婦として消費する誘惑に勝てないこともあるだろう。宮台が学匪だと言えるのは、社会学者として、あの女子高生たちが、誰かの娘だったり、もしくはいずれ誰かと結婚するという社会の枠組みについて考えなかった、いや、むしろ逆で、結婚制度の完全なる破壊こそが目的だったということも出来る。結婚制度がないなら「自分の娘だったら」とか「未来の自分の嫁だったら」と考える必要はあるまいし、女子高生は使い捨ての売春婦という宮台理論は成り立つ。

わたしが宮台の娘に会うことがあったら、その豪邸の豊かな暮らしは、女子高生ブームで稼いだ金であることを説明してやりたい。また結婚制度の廃止によって宮台の主張が成り立つとすれば、東大教授の娘と結婚して子どもをなしているのが無責任極まりないわけで、自分が安全圏にいる状態で、女子高生を保守攻撃の兵隊として扱っていただけである。これは学匪であると言うしかないのである。また女子高生ブームの頃から「宮台は娘にも援助交際をやらせるのか」という批判はあったが、馬耳東風だったわけである。だから宮台の娘に会う機会があったら、宮台がやってきたことをよく説明し、その豊かな生活の欺瞞について問いただしたいものである。

今日は親の所得で人生が決まると言っても差し支えなく、少なくとも宮台の娘は女子高生ブームで稼いだ金の恩恵を受けているのである。宮台が女子高生ブームに乗っかって得た利益を社会に寄付するなどして放棄したという話は聞かないし、父親が学匪として稼いだ金で豊かな暮らしをしている娘には、世間でたくさん苦しんでいる貧困家庭の人をどう思うのか尋ねてみたいし、他人の娘は死地に追いやり、自分の娘は大事にするという宮台真司のスタンスへの考えも聞いてみたいものである。







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