網野善彦が歴史に新しい視点をもたらすことが出来たのは、たいていの歴史家は歴史に名を刻んだ人物に注目しており、無名人の在り方に関心がないからであろう。歴史に名を残さない人がどのように生きていたかというのは、物語として浪漫がないし、大雑把に捉えて終わってしまう。そもそも無名人というのは、どのように扱えばいいのであろうか。同じ時代に生まれたからと言って十把一絡げにされるのも嫌である。ただ、われわれの生活はかなりインフラに依存しているわけである。90年代の女子高生ブームは携帯電話の普及が原因であるし、そういう意味では「携帯電話を手にした存在」としてあの当時の女子高生は十把一絡げにしてもいいわけである。それから五年かそこら遅れてインターネットの時代になってくると、オピニオンリーダーだった宮台真司はすっかり凋落したのである。女子高生をフィールドワークして「女子高生から聞いた話」を大量に執筆するというスタイルが、ネット時代になって通用しなくなった。「女子高生がこう言っていた」と創作するスタイルは、ネット以前だったから可能だったのである。同時代だから同じライフスタイルだというわけではないが、人間存在はかなりインフラに制約されるし、新しい科学技術で何かが変われば、人間も変わるのである。ネットというインフラにしても、ツイッターのブームで長文はかなり廃れた。この手のツールによって人間も変わるのである。仮に長文で投稿可能なツールが流行れば、また別の文化的な在り方をするであろう。もちろんブログに長文を投稿するのは可能だが、書いても誰も読まないわけであり、読まれなくても書くという人しか書かないわけである。この時代に存在していると、どうしてもツイッターに依存させられやすく、使わないわけにはいかない。そういう意味では、時代について語るのは、インフラについて語った方が適切なのであろう。同時代人がみんな同じことをやっているわけではないが、ネットでさえ多様性は少ない。ネット以前だと、誰も読まない長文をブログに書き続けるようなことは無理だったから、個人は世界に対して完全に口を封じられており、同調圧力がさらに強かったことに疑いはなく、インフラに従わされるのが人間存在だと言ってもいいのである。







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