なんか12月27日の赤坂BLITZに武藤彩未ちゃんのライブを見に行った際に風邪を引いたらしく、この一週間くらい熱を出していたのだが、肉体の機能が損なわれ、エントリーを書いても韻が踏めず、漫然と句読点を打つのみであり、まさに自分が壊死していく経過を体感しているのである。この地球全体を埋め尽くして繁殖している地球人類のひとりひとりが、こうやって生まれたり死んでいって、永遠の生命の連環が途切れず続いていくのである。宇宙が出来てから137億年経って、5000年前にようやく人間が文字を使い始めたというのがどうも釈然としないし、たまたま137億年経過したこの現代に存在しているというよりは、そういうゲームの設定という感がぬぐい去れず、そろそろわれわれは自らのDNAを書き換える準備に入っているのだから、本当の意味で佳境に入りつつある。直立二足歩行を始めてから文字を獲得するまで500万年掛かってるのに、この5000年くらいで文明が進歩しすぎているという不自然さの問題である。そもそも現象世界がなければ物質の意味など無いのである。DVDのディスクだけあって、その再生装置が無く、見る人もいないのなら、中のデータに意味などあるまい。この137億年前に創られた宇宙にしても、人間に見せるために創られたようにしか思えず、たとえば「におい」や「味」は明らかに現象世界に映じるものである。物質そのものに「におい」や「味」はないはずなので、生物の感覚の問題である。音にしても、われわれの現象世界で感じている音とはまったく別の無機質なデータがあるだけであろう。触覚にしても、物質そのものに触覚があるとは思えないし、やはりこれは生命の現象世界の問題なのである。最初に人類の蒙を啓いた哲学者はソクラテスということになっているが、ソクラテスは自分で著作を書いてないので、たいていのエピソードはプラトンの潤色であろうし、そもそもわれわれはソクラテスに会ったことがない。この手の人物が実質的にほとんど架空の存在であることを考えると、道重さゆみちゃんによって、人類は新たな起点に回帰したのである。道重さゆみちゃんは無能なのだが、自分の無能さを理解しているという立ち位置なので、まったく隙がない賢者であり、しかしこれによってあらゆる問題を解決したのではなく、むしろ逆に、われわれを振り出しに戻し、人間的苦悩に向き合わせたのである。もちろん道重さゆみちゃんがセックスしてくれるなら、深くは考えまいし、その快楽に浸ればいいだけなのだが、やれない女としてこうやって提示されると、宇宙とか、人類とか、もしくは物質と現象世界の問題など、すべてが謎だらけであることに逢着するしかない。こうやって文字を綴ることでさえ、5000年前まで出来なかったのであり、そこまで延々と40億年くらいこの地球上で、細胞が繁殖し続け進化してきたのである。どこからも宇宙人が訪問してこないので、他には生命はいないのだろうと思うし、そもそも宇宙の大半は暗黒物質でよくわからないのだが、少なくとも、われわれの身の回りにあるモノの大半は現象世界のために人類が製作したものである。天体の運行に目的はないだろうから、すべては、われわれが生命として生き残るという意志と合目的性の問題であり、生命の進化にしても、現象世界に従わされ、快楽を求めたり苦痛から逃れたりするために個々の個体が奔走し続いていくのである。なんにせよ、この現象世界が不思議すぎるのである。すべてが夢であるとしても、こうやって夢を現象させるシステムは極めて不思議であり、それこそ宇宙全体より、この夢の方が難しい。開頭して豆腐のような脳みそを見せられたところで、なぜ物質の電気的な反応から現象世界に跳躍できるのかさっぱりわからない。道重さゆみちゃんの妊娠報告とか、新婚旅行の模様とか訃報に立ち会わされる未来も、これは徴兵されて戦艦大和に乗せられて沖縄で沈むのと同質の、時代性に強制された義務なのだが、戦艦大和も道重さゆみちゃんも、ひとりの人間の幻想ではなく、実在はしているのであり、とはいえ、その実在性は物質的なものでありつつも、あくまで現象世界のものである。個々人の空想世界とはまた別の、人類に共有されている現象世界の真実性を確定するために物質が創られたかのような気がして、その不可思議さに悩まされるのである。物質とは空想世界が暴走しないための歯止めであり、ある種のコピーガードである。現象世界と空想世界は似たり寄ったりのもののはずなのに、ウナギのにおいだけ嗅がされてる問題であり、匂いで腹は満たされない問題であり、いくら空想したところで頭の中の夢想にとどまり、本当にアクティベートさせるためには、実物の道重さゆみちゃんを抱かなければならないという難問だが、今からアメフトを始めてスーパーボウルに出ろというような、端から匙を投げなければならない課題が与えられているのは、誰にとっても、ただ眷恋するだけのベアトリーチェが存在するということかもしれないが、これは生まれる前から持っている欲望なのであろうし、空想世界と現象世界の関係、その区分けをしている門番である物質世界の絶対性の酷薄さであり、どれだけ風雨に耐えても暖かい日差しに浴する日はないのである。







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