才能を無駄にする人が時たまいるので、努力の重要性が説かれやすいのだが、そのあたりの精神面はともかく、人間の能力はかなり固定的である。われわれ人間存在の根幹をなしているのは、能力の連続性である。今日はサッカーの天才なのに、明日はサッカーがまったく出来ないとか、そういうことはない。能力の連続性ことが個人の根幹なのである。気まぐれな天気のようにスペックが変化することはなく固定されている。才能がないことをやっても絶対に無理なようになっているのである。植物を育てるのと同じ話で、いろいろ手入れは必要だとしても、どう育つかは決まっているわけである。画才があるかどうかは生まれつき決まっている。どういう絵を描くかは時代性や、本人の人生の問題でもあるし、美術論としてはそこが肝心と論じるのも可能だが、とはいえ、絵の能力は固定だと言って差し支えない。絵の才能がない人が画家を目指してもいいのだが、誰も評価しないだけである。

そして人生の一回性という仕組みである。弁護士と医師の資格を両方持っている人は実在するが、法学書と医学書を並べて両方読むわけにはいかないから、時間が分散してしまう。芸術的な才能とは違い、ごく普通の秀才的な知能は汎用性があるので、知的な技能なら、あれこれ身につけるのも可能なはずであるが、専門性を極めようと思ったら、片方に絞るしかない。技能の習得にやたらと時間が掛かる、もしくは人生が短すぎる問題である。脳が若い状態で何百年もあるなら話は別だが、120歳まで生きたところで、脳の若さには限界があるので、ひとつのことをやるのが精一杯である。ゲーム理論で有名なフォン・ノイマンは、本を一度読めば暗記できてしまうという特殊能力があったが、(つまり自閉症のサヴァン症候群とか、フォン・ノイマンに比べたらまったくすごくないのだが)、それでもフォン・ノイマンが万能の超人になったわけではない。現在われわれが使っているコンピューターはノイマン型と言われるのだし、天才という称号を与えて差し支えない人物ではあるが、これくらいの人間が超人的な暗記能力を手にしても、その能力を使う時間の制約は極めて大きいのである。また、ひとりで全部やる必要があるのか、という問題もある。何でもすぐに習得できて、昨日は文学者で、今日は医者をやって、明日は弁護士で、その次は物理学者をやるとか、そんなに意味があるとは思えない。ひとりがひとつのことしか出来ないように固定されているのが、人類たるゆえんなのであろうし、分業が義務づけられているのである。







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