われわれ個々人が、それぞれ同一人物であり続けているのは、肉体の乗り換えが出来ないというのが最も大きな理由ではあるだろうが、関心の継続性もかなり大きな理由である。われわれは飽きる生き物であるし、どのような狂おしい愛情も三年が限度であるとされるが、とはいえ、長い関心を持ち続けることも多々ある。他人が関心を持ってるからそれに釣られて自分も関心を持つという社会的な連鎖性には話をそらさずに、あくまでひとりの人間の内面世界における関心の問題について着目したいが、原則的に人間の脳はシングルタスクであり、同時に複数の音楽を聴くとか出来ないので(いや、出来るといえば出来るが楽しくはないので)、限られた人生の中で、何かしら特定の対象への関心を延々とループさせているのである。この継続された関心によって、マンネリになってもさらに塗り重ねていくのが人生なのであるし、また脳が若さを失うと新たなことを吸収出来ないので、このマンネリ感により、一刻一刻と流れていく瞬間のエッジが効かなくなるので、その漠たる世界において一気に馬齢を重ねるのは容易いことである。これは若作りによって解消出来るものではなく、どれだけ取り繕っても肉体が老廃物と化していくのは避けようもない。人間は世界内存在として同一性が求められる。他人の発言は予想可能であることが期待されるので、言ってることが毎回変わる人は顰蹙を買うわけである。過去と矛盾しないようにケアしながら自分を脱皮しなければならないという難題を与えられているが、詰んだ状態でエラーを吐き出し続けるしかない。時間の継続性への信仰を守るため、過去の思考を反復して諳んじるしかない。脳のシングルタスク性からして、われわれは森羅万象から拒絶されているも同然なのである。自分の肉体周辺に視野が狭められた盲いた存在。肉体に軟禁されて、その圏内しか認識出来ないのである。シングルタスクにより一カ所の墓穴を掘り進めながら俘虜となり、それを終の棲家とする。梟首台に載せられようが銅像として飾られようが、一カ所に着地するしかない。選択できなかった可能性はネズミ講のように後世に託される。悪疫に感染して長患いするために無垢の新しい生命が求められる業病。関心の対象を頻繁に変更し宗旨替えをモットーにしても、それは自由というよりは、リソースの分配の失敗でしかない問題。もしくは飽きっぽいにしても、夢中になっている間は時間が継続しているのである。男子であれば「子どもの頃は昆虫採集が好きだった」という人も多いだろう。大人になると虫が苦手になるのが普通なので、その過去とは断絶しているわけだが、夢中になっていた頃は継続性があったのである。その当時の自分と現在の自分が同一であるかは(仮に肉体がなければ)判然としないのだが、何かに情熱を傾けることで継続的な時間を体験しているのである。それは振り返ると、すっぽりと抜けたような時間帯にも感じられ、夢か現実か曖昧な気がすることもあるが、とはいえ現実の体験だったという認識は確実にあるわけだ。







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