聖徳太子と弘法大師というと、なんか似たようなタイプの偉人と思われているが、実際はまったく違う。
聖徳太子はほぼ架空の人物と言って差し支えない。

「日本書紀」(宮澤豊穂訳)にはこういう風に書かれているわけだが、かなりの部分が作り話であろうと思われる。
厩戸皇子そのものは実在しているはずだが、天皇の息子を作り話で神格化したと考えるのが妥当である。

四月十日に、厩戸豊聡耳皇子を皇太子とされた。そして、摂政として国政をすべて委任された。皇太子は、用明天皇の第二子である。母の皇后は、穴穂部間人皇女(欽明天皇の皇女)と申し上げる。皇后は、皇子をお生みになろうとする日に、ゆっくり宮中を巡行して、諸官司を視察された。馬官に来られたまさにその時、厩の戸口でお苦しみなく、たちまちのうちにお生みになった。皇太子は、生まれてすぐに言葉を話され、優れた智恵がおありであった。成人なさると、一度に十人の訴えを聞いても、間違いなく聞き分けることがおできになり、行く先々のことまで見通された。また、仏教を高麗の僧恵慈に習い、儒教の教典を博士覚哿に学ばれ、すべて習得された。父の天皇(用明天皇)は皇太子を愛されて、宮殿の南の上殿に住まわせられた。それでその御名を称して、上宮厩戸豊聡耳太子と申し上げた。


これに対して弘法大師(空海)は実在の人物であるし、紛れもなく天才である。書道の腕前に関しては、当時の中国でも名前が知れ渡るほどで、かなり評価が高かったことは間違いない。また空海は自分が書いた文章をたくさん残しているが、これがまさに天才としか言いようがない。ここが空海を語る難しさであり、書いてあることがあまりにも高尚すぎて、解説が出来ないのである。そこそこの国語力があれば、漢文の読み下しを読むだけで、その凄さはわかるはずだが、書いてる内容が異次元過ぎるし、空海の漢籍の素養はかなりのものであるので、正確に読みこなすとなると難しく、またわかりやすい現代語訳だと、空海の文章の美しさが削がれてしまうので、なかなか伝えるのが困難である。空海だけ読めば理解できるものではなく、仏教全体の理解が必要となるため、空海が書いた書物に解説を加えるのは、かなり困難なのである。自力でその思想の美しさの断片を楽しめる人にしか伝わらない問題である。もちろん宗教であるから、聖書の内容が史実に反するように、空海の思想だって、本当の宇宙の真理の反映とは言えまいが、ジャック・ラカンのような嘘でたらめではなく、極めて仏教的な真実そのものであり、本物の天才であるのは疑いがないのである。

空海はそこそこ裕福な武家に生まれ、当初は、その当時日本にひとつしかない大学に入る。だが中退してしまう。その親不孝を空海は気に病むが、しかし、俗世間での名利を求めるよりもっと大きなことをするのが本当の孝行であると語るのである。大学中退後の生活はあまりわかっていないが、やがて31歳の時に、唐に渡ることになる。最澄も同じ時に唐に行っているのだが、違う船であり、また特別待遇で短期留学が前提の最澄と、無名の空海では扱いが違うので、この段階では接点がないと思われる。空海は本来なら20年くらい唐にいるはずだったのだが、師が死んだので三年で帰ってきてしまう。これはルール違反であり、かなり問題になったはずだが、なんかいろいろあって嵯峨天皇に気に入られ、それなりの地位を占めることになる。書道家の弘法大師としての印象が強いが、これはあくまで余芸だと考えるべきであるし、あくまで宗教家として書き残したことが本質である。また弘法大師というと人格者としてのイメージがあるかもしれないが、同時代の最澄の方が人格者と呼ぶにふさわしいであろう。空海は常人を超越した領域で生きていたのである。

空海の思想は、この宇宙を大日如来の現象として捉える。すべてが曼荼羅なのである。だから、美や叡智だけで構成されているわけではない。道重さゆみちゃんは釈迦院に属するだろうが、最外院というのもあり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という迷いの世界が配置されており、仮にダンテの「神曲」のような物語にするなら、はるかぜ親子を愚かな人間の代表として、曼荼羅の最外院に置くべきであろう。道重さゆみちゃんだけを信仰するのではなく、はるかぜ親子の見苦しさも含めて宇宙全体として捉えるのが空海の思想なのである。これは人間観としても優れていると言えるであろう。現世にははるかぜみたいなゴミがたくさんいて、そこから脱出すると、天国には道重さゆみちゃんがたくさんいるという救済思想よりは、道重さゆみちゃんとはるかぜ親子が同じ地球上に生きていて、それこそが曼荼羅たる人類や宇宙の在り方なのであり、大日如来の現れなのだという方が、(救われるかどうかは別として)人間存在の適切なとらえ方なのである。全知全能の神が宇宙を作っているのではない。道重さゆみちゃんのように超越的に煌めく存在から、はるかぜ親子のように見てくれが悪い迷える衆生まで、すべてが大日如来の一部なのである。それぞれの個人が「人間」のひとつの側面を現して存在しているというのは、かなり的確な人間観であろうが、夢も希望もないので、空海は流行らないのである。







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