人間が妥協したがらないのは、他人への見栄とか面子もあるだろうが、それ以上に、自分が変わってしまうことである。
われわれの自我は欲望の形式である。
いずれ達成したときに歓喜するために待機しているのである。
これが厄介で、たいていは宿願が果たされることなく、そのまま死んでいくのである。
ではなぜわれわれは悲願を抱え続けるのであろうかというと、喜びをMAXにしたいからであろう。
なんか自分が狙ってないポジションが転がり込んできても、あまりうれしくないような気がするのである。
ひょんなことから歌手として認められるのと、ずっとそれを夢見てきて、とうとう夢を果たすというのでは違うはずである。
人生で妥協するというのは、悲願を手放すことである。
悲願を果たした時に歓喜の絶頂に達することを放棄することである。
かなり時間が経過して、すっかり昔の夢など忘れた頃、ひょんなことから夢が叶うとか、そういうのはあまり望んでないのである。
これは思いこみの部分も大きいであろうし、もしくは夢が達成した瞬間の歓喜にこだわりすぎた発想とも言える。
映画ならそういうドラマは必要であろうし、苦難の末に達成する物語性が求められるが、現実の場合、歌手になりたくもない人がたまたま歌手としてスターになれたらそれでも一応は嬉しいのではなかろうか。
もちろん歌手ということで言えば、苦労人がようやく大きなステージに立って夢を果たしたという物語性に観客も感動するであろうし、そのドラマ性も芸能界の仕組みのひとつなのだが、歌手というのは喩えとして言っているわけである。
他のどのような夢であれ、なんか妥協したり和解したりすると、そこでドラマ性が壊れてしまうという話であり、そのドラマ性がそんなに重要かという話である。
もしくは人生に妥協したり和解した段階でドラマが腰砕けになり、別の人間になってしまうという不安は虚妄なのか、という問題である。







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