ひとは自分の主体性が絶対だと思っているが、おまえら人類70億人はどう考えても量産された存在である。
自分だけが選ばれた存在であるという錯覚を排するなら、同じような量産的人間と闘争しているのが世界である。
たぶん他者が敵であるのが肝要なのである。
他者が敵であるからこそ、一人遊びに陥ることなく続いていくのである。
人間なんて量産的であり、誤差のような違いしかないのだが、これを同一、もしくはいくらでも譲歩可能な仲間と見なすと世界は成り立たない。
共産主義は、人間が量産的存在だから簡単に仲間になれるという安直な思想であろう。
ひとが誰かと共闘するとしても、仮想敵がいるのである。
共産主義者だって、実のところ資本主義に対する「共闘」なのである。
共闘なら誰だってやっているし、それこそが世界の本質なのである。
世界は人為的に作られたものだが、自分で○○と決めたから○○であるというトートロジーではない。
このようなトートロジーを回避するのが他者なのである。
天皇が天皇であるという問題に関して、これが一人遊びだったら空想と同じなので、その設定を変更してもいいわけである。
天皇だから天皇であるというトートロジーは、他者性や世界性や歴史性が入った上での「現実」なのである。
わたしが決めたならわたしひとりの思いつきで撤回できてしまうが、他者性というフィールドで決まったトートロジーは撤回できず、天皇だから天皇というのは、空想ではなく、撤回不能の現実となるのである。
わたしが「天皇制をやめよう」と言ったら誰もが賛成してくれるなら、それは一人遊びのトートロジーとなるが、そう簡単に他者の考えを変えられないからこそ、夜に見ている辻褄の合わない夢のような混沌には陥らず、動かし難い現実が成立する。







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