なぜ岡田斗司夫があれだけたくさんの女とやれるのかと考えてみたのだが、女に対して真剣でないというのが最大の理由だと思うのである。美青年ならいいが、そうではない男性から真剣に愛を告白されるとか、女からすれば恐いはずである。真剣に愛すれば愛するほど気持ち悪がられるという問題である。道重さゆみちゃんの横浜アリーナでの卒業ライブの最後のMCで「さゆみのファンは変な人が多いんですよ」と言われ、それ以降完全に消息を絶ったわけである。やはり道重さゆみちゃんを人類史最高の女性と考える姿勢こそが、裏目に出ているのである。人を愛する真剣さなど、ストーカーと紙一重であるし、この真剣さこそが、最も克服するべき感情なのである。考えたら岡田斗司夫と似たような立ち位置の田中康夫も柔らかいフェミニストであるし、遊びとして女を愛玩しているという姿勢が女を惹きつけているのである。岡田斗司夫も田中康夫も、決して女を真剣に愛さないので、この手軽な感じが好まれるし、見てくれが悪くても気持ち悪いと言われないのである。われわれはこれに学ばなければならない。道重さゆみちゃんを崇拝すれば崇拝するほど気持ち悪いとか変な人と言われて距離が遠くなるのだから、まんこが付いたポケモンくらいに考えておくことが必要である。そもそも女性を崇拝するのはフェミニズムへの反逆行為であるし、われわれが道重さゆみちゃんの聡明さを褒め称えるのは、他の女が馬鹿であると言いたいのであるし、根底に脈打っているのは処女崇拝であるから、われわれのパターナリズムに反しないところが好ましいのであろうし、どこかしら支配欲があるのである。それに比べたら、岡田斗司夫や田中康夫は、女が自由に股を開く権利を認めているのであり、理想にそぐわないという理由で女を難詰することなどないであろうし、後腐れのない性行為が出来るのだから、女から見てかなり居心地がいいはずなのである。道重さゆみちゃんを崇拝するのは、2.26事件の青年将校のような身勝手さだったのである。思い詰めた磯部浅一から崇拝されても気持ち悪いだけであり、世界恐慌の重力で鬱屈した大戦前夜の世界で、絶え間なく降り積もる雪を血で染めたのは、他者への愛ではなく、自らが救われたかったのである。皇道派と統制派の対立の中で動揺する重臣たちの前に、昭和天皇が自ら青年将校を討伐するつもりで軍服で姿を現したのは、あまりにも身勝手な愛への怒りに他ならない。道重さゆみちゃんが隣にいたらこの穢土が地上の楽園に変貌するであろうという厚かましい願望が正体であり、窮民が聖者の奇跡を渇望しているだけであるから、溺れてもがくよりは、素直に溺死体として浮かんだ方が、妥当な立ち位置に帰れるのであろう。岡田斗司夫は女を真剣に愛してないのだから、これは人間として普通の接し方をしているのである。人生観の是非はともかく、そこが問題の焦点なのである。







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