このところの父親と言えば、親切なおじさんである。何しろ、義務もないのに子どもを扶養して愛してくれるのだから親切なおじさんとしか言いようがない。これに対して、一昔前の父親は、不親切の極みのような存在だったわけである。これがまた不思議である。働かずに酒浸りでギャンブル中毒という場合もあるだろうが、基本的には、労働して子どもを扶養していたわけである。それにもかかわらず、<父>とは不親切を極めたキャラクターであり、摩訶不思議な存在とも言えるのである。つい最近まで結婚しない自由とか子どもを作らない自由はなかったのだし、爺さん婆さんや隣近所から監視され世間体のために生きていたのであり、その世間の掟の強さが「親切なおじさん」というポジションを不可能にしていたのであろうし、妻子に向かって苦々しく「俺が飯を食わせてやっている」と仇敵を見るような目付きをすることもあったのだろう。扶養というのは無償の親切な行いであるのに、それでも、本当は嫌なんだという顔をするのが珍しくなかったはずで、子どもが労働力として計算されていた時代の名残なのかもしれないし、老後の世話を家制度で保証させていたためかもしれないが、この嫌々ながら妻子の面倒を見る感じが、おそらくは権力性の基盤なのである。苦虫を噛みつぶしたように「面倒をみてやっている」と言う父親の顔は徴税官にそっくりであり、税金の取り立てそのものなのである。面倒を見たのだから、それに応じた「税金」を払えというのが暴君的な父親の姿勢なのである。ただで面倒を見ているのではない、ということである。こうやって父親が借金取りだか税金の取り立てだか知らないが、(何を子どもから取り立てるのか不明だが)ともかく強面であったから、その<父>の象徴性がひとびとの心に深く根を張ったのであり、赤の他人である権力者が父親面して人間を支配することが出来たのである。この「ただで面倒を見ているのではない」という父親の凶相が、権力に弱い子どもを育んだ。21世紀において、子どもを扶養するのは(何の見返りもない)無償の親切な行いであると明確になりつつあるから、国家権力に与える影響がどうなるか興味深い。今の世相で「ただで面倒を見るつもりはない」と言い張る暴君的な父親がいるとしたら、どこか時代を間違えているのである。妻や子どもを養うのは何のメリットもなく、ただで面倒を見ているのが実態なのだから、「ただで面倒は見ていない」と徴税官のような顔をするのは意味不明だが、誰かを睥睨し威張り散らしたいという欲求もあるのだろうし、畏怖する窮民から見上げられ、不機嫌な顔をして怒り狂いながら暮らしたいという曲がった欲望もある。暴言を吐いたり暴力を振るうのが楽しいのか疑問だが、権力欲というものは普通の愉しさとはまた別なのである。とはいえ、全体としては、父親が子どもに奴隷根性を植え付ける社会原理は廃れていくと思われるから、権力者が父親のような顔をすることで他人を支配するやり方は通用しなくなるし、自分の父親とは似ても似つかない赤の他人であるオッサンが暴君として立ち現れたら、ひとびとがどうやって対峙していくか興味深いのである。その手のオッサンに逆らうと、自分の父親の面子を潰しているような申し訳なさが生じるからこそ、これまでの人類史を通じて、われわれはずっと支配されていたのだが、暴君が自分の父親にまったく似ておらず、重なる要素が寸毫も認められないとしたらどうであろう。リアルの父親が親切なおじさんになってしまえば、権力者が(赤の他人であるくせして)父親の似姿をして立ち現れるのも不自然になるはずである。







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