宇宙が出来てから137億年経っているが、たぶんその逐一の経過は記録されていない。ラプラスの悪魔を逆回しにするように物理学的計算は出来るにせよ、生物の頭の中まで記録されてはいない。この地球上で起こった様々な出来事は生物の脳に刻まれたのみであるし、アカシックレコードは決して存在しない。どこかの辺鄙な山村で起こった小さなやり取りなど、跡形もなく消えていくのである。かつてアイザック・ニュートンという人が、光に色はないと断言したので、われわれの前に色づく景色も、光を色として解釈したわれわれの脳が作り出す現象世界である。脳に描かれたものでしかない事件なのだから、目撃者が全滅して闇に葬られたとしても何ら差し障りはない。頼みもしないのに、このボウフラのような意識が湧いてくるなら、いっそ宇宙にあまねく湧かせて遍在してみたいものだが、それぞれの個体は分断されている。個々はそれぞれ肉体の存在している座標に固定されているし、そこから見える風景、耳に響いてくる音、鼻の近くに漂う匂い、それに縛られているのである。監視カメラの発達でアカシックレコードの真似事が出来そうにも思えるし、あの日誰がどこにいたと記録される社会になるやもしれないが、しかし、われわれの脳内現象をそのままアウトプットすることは出来ない。監視社会について書くためにエディタを開いたのではないから、監視カメラ問題は割愛するが、人生の多くの出来事は、われわれ個人個人のプライベートな記憶に委ねられている。歴史的な出来事も、真相が確かめられないものだが、これは歴史学の欠点というより、想像で埋め合わせて理解していくのが人間の本質なのである。フランスに咲く白い百合の匂いをかぎたいなら、フランスにまで行く必要がある。それが意識の脊椎であり、空想では物足りないという主体性の我が儘であり、これが肉体の隅々まで強固に根を張っている。手を伸ばさずとも森羅万象に触れ得るとしたら肉体などいるまいが、肉体がないと認識できないとか、何かの罰なのであろう。鉄格子の先に見える美人画に眷恋するとしても、この牢獄の鍵は原理的に開かぬようになっている。この鉄格子の内側に道重さゆみちゃんがいたならば、鉄格子の外側の世界に思いを馳せることもあるまいし、この空間の狭さの不思議さに首を捻ることもなかった。悶絶するべき苦悩が取り憑いて離れないのは、人間の真実や宇宙の真理について考える機会を与えられたといえるであろうが、この思索によって答えが出ないのも厄介であり、宇宙やその現象世界の不可思議さに圧倒され、無常観に囚われるのみである。道重さゆみちゃんのまんこが、鉄格子の向こうにあるというのが、われわれの自我を成り立たせているのであろうし、見たこともないのに知っているという不思議である。この宇宙の大部分を占める暗黒物質の謎はまったく見当が付かないが、道重さゆみちゃんのまんこなら、まだ見ていないし、これからも見ることはないだろうが、すでにわたしは知っているのである。本当にその形や色を子細に言い当てられるわけではないが、性器とは記号であり、実は未知ではないので、知っているわけである。女はアダムの肋骨から作られたというのが生命体の本質である。失った片割れに手が届かない問題である。この絶対不可侵の領域をやすやすと見ることが出来る人間もいるわけであり、鞘師里保は道重さゆみちゃんのまんこを通算で500時間は舐めているはずだし、ここまでたやすく手にはいるなら日常的な嗜好品と変わらないであろう。カフカの掟の門と同じ話である。道重さゆみちゃんが異郷の果てを旅していても、鞘師里保から連絡があればすぐに帰国し、その透き通るような裸身をベッドに投げ出して、なおかつ金まで貢ぐのである。こうなると物理的な座標の問題だけではなく、存在と存在の接近のしやすさの話である。わたしと道重さゆみちゃんの間に立ちはだかる掟の門は、距離の問題だけではなく、この世界内存在の規定からして、同じベッドに入ることがあり得ないということである。鞘師里保なら世界中の欲しいものが何でも手に入るのかといえば、決してそうではなく、たぶん中元すず香が掟の門なのである。快楽など手に入らなくてもトップアイドルとして君臨したい熱望はあるだろうし、アイドルとしての不完全燃焼を打破したいであろうが、それは叶うことはなく、ルーキーの牧野真莉愛にセンターポジションも取られるだろうから、いずれ一人の元アイドルとして大衆酒場で飲んだくれつつ、人生にあぶれた自分を悲嘆し、かつて聖女と身体を重ねた過去を思い返し、その煌めきが現在の時間にまったく重ならない苦みを味わうのである。中元すず香にしても、初見は目の覚めるような美人に映るし、女子ではあり得ない声量も含め、不世出の存在が世界地図に立ち現れたという第一印象のインパクトたるや、表現する言葉が見つからないくらいだが、見れば見るほど女子らしくない骨格なのであまり可愛くないし、最初の褒め言葉はたやすく撤回され、人々の関心はゆいもあにシフトしてしまう。人間は誰しも肉体的な制約に縛られており、森羅万象のすべてに触れるわけにはいかない。たまたまわたしは有名人の名前を挙げているが、はるかぜ(母親)という貧乏人が、金持ちの蒼波さんに嫉妬できるのも、蒼波さんが新進女優であり、可視化されたお嬢様だからである。普通であれば、ババアが育ちのいいお嬢様の存在を知る機会などあるまい。世間に著名人として名前を公開していない無名のお嬢様はたくさんおり、われわれはその高貴な色に染まる花を手折る夢想すら出来ない。彼女たちがFacebookに実名を書いていても、あくまで無名人なのである。フラタニティ、いや、女子であるからソロリティと言うべきだろうが、この種の上流階級のクラスタが、下流のクラスタと交流することはないのである。そのアッパークラスの幸福たるや羨むべきだが、とはいえ、タワーマンションの最上階から高級ワインを片手に世界を見下ろして、人間や宇宙を理解できるのかどうかは疑問である。聖徳太子のエピソードの大半は創作であり、10人の話を同時に聞くというのも、出来るわけがないからこそ、文飾として添えられている。ネットはあまりにも巨大すぎる図書館のようなものであり、見渡す限り聳え立つ書架に埋め尽くされた浩瀚なる蔵書を誇ろうとも、誰がこれを全部読めるのかという話であり、人間が一生に読める本の冊数は決まっているのである。書物の数をどれだけ増やしても、人間の脳に進歩がないという難題である。何万年か時を経て人類が進化すれば別であるが、そうなるのなら、われわれの文化など古代祭祀と同じ扱いになるであろうし、どこまで行っても希望の余地はない。インターネットの普及で全人類がお互い顔見知りになるということはない。図書館の本を全部読めないのと同じで、人間だってほんの一握りしか知り得ない。認識の限界によって、他者はたやすく圏外になってしまう。だから鉄格子に囲まれた部屋にいるのも同然なのである。個々人はプライベートな構造体であり、それが周辺世界の働きかけで作動しているわけだが、同じ仕様で作られた人間として、他人の頭の中は想像が付くにせよ、脳の中身そのものを見るわけにはいかないし、開頭してニューロンの電位を調べたところで何もわかるまい。どこかで全能の神がアカシックレコードの役割を果たしているならいいが、天才科学者がわれわれのプライベート性をすべて剥ぎ取るような発明をしてくれて、われわれの持つプライベート性がぶち破られるなら、ただ単に顔から火が出るだけでなく、あらゆることが既知であり「想像」しなくていい世界というのは、われわれ個人を存在たらしめるのかと疑念が生じる。自分の秘密を洗いざらい話した人は、人類の歴史の中でひとりもいないと言って差し支えなく、かなり大胆な告白をする人でも、やはり口をつぐんだエピソードはあるのである。スペック差がひどいにせよ、同じOSを積んでいるので、だいたい互いのことは想像で見透かしているのだが、それでもプライベート空間を守りたいという強い願望があるのである。







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