われわれが使っている道具は基本的に身体の拡張と言える。人間が千里眼を持つことは出来ないが、視覚の拡張は出来るわけであり、あちこちに監視カメラを置くことは出来る。カメラがなければ、目撃者以外は誰も見ていないわけで、過去の出来事の映像は完全に葬り去られる。

この世界の過去の映像が痕跡を残さないのは不思議であり、われわれは文献や考古学に頼るしかない。遠い星から見れば昔の地球が見えるとしても、それはナンセンスであるし、ともかく過去の映像や音声の痕跡は残ってないのである。なんか知らないが、神様がそのように設計したのであろう。どれだけ悪事を働いても目撃者がおらず、証拠も残さなければセーフである。視覚が過去に遡らないからこそプライバシーがあり、それによって個人が成り立つのである。どれだけ科学が進歩しても、遠い昔の地球の映像を見るのは不可能だと思われる。生物が視覚として見なければ、その風景は存在しなかったのも同然なのである。だがカメラや録音機は身体の拡張として、目撃者としての役割をこれから果たしていくわけである。過去には遡れないが、世の中を監視カメラで埋め尽くせば、それ以降の時代はすべて視覚的に記録される。

晒しという行為がある。普段なら見て見ぬふりをする出来事を晒すわけである。現場で目撃したら黙って素通りするのに、ネットで見かけたら全力で攻撃するわけである。それが勇気か臆病かという議論は、正義感が発達障害という問題もあるので、あまり意味がない。見て見ぬふりが倫理的に醜く、介入する正義感が倫理的に美であるというわけでもあるまい。ともかく、見て見ぬふりをするのが正常な行為である。正義の味方として剣を鞘から抜いて斬りかかるのは異常性である。

晒しに関してはなぜか異常性とは認識されないようである。勇気という問題だけでなく、それよりは恥の要素が大きいであろう。正義の味方として飛び込んでいくのは、対面だととても場違いな恥ずかしさであるが、ネットを通してなら恥ずかしくない。それに、晒しというのは、われわれがわざわざカメラを持って撮影してるのではなく、不謹慎な人間が仲間内しか見てないつもりで自慢げにネットにアップしたものを、誰かが晒して拡散し、群衆もそれに乗っかるのである。路上ではわれわれはバラバラにされており、連帯する気はひとつもないのに、匿名の群衆としては、たやすく連帯出来るのである。

ワル自慢による炎上はたくさんあるのに、正義君が「こんな悪い奴らがいた」と自ら撮影しに行って悪事を晒しているのはあまり見かけない。むしろそのような正義が叩かれることもある。探偵ファイルなどは、わりとそのような正義君の典型であるが、さほど支持を受けているとは言い難い。まったく支持されてないわけではないし、対象が極悪すぎればさすがにそいつが叩かれるのだろうが、たいていは探偵ファイルの方が悪印象を持たれる。

やはり悪人が自分からワル自慢してくれると、これは自爆であり、誰かが主導する正義ではないので、正義論に悩むことなく、拡散され叩かれることになる。探偵ファイルが自分で撮影に行くと駄目なのである。

正義による連帯が起こらないのは健全さと言ってもいいのだが、公務員が一般市民に嫌がらせをする場面を見たとして、そこに無関係の一般市民が何十人も集まって正義として口を挟めば、横暴もなくなるであろう。正義というアスペルガー的な精神を嫌悪するのは正常ではあるのだが、これが権力者に好都合になっている。カメラもネットも安価で用意されているので、われわれが身体を拡張し、探偵ファイルになるための道具は用意されているが、心理的抵抗がかなりあるようである。マスゴミのカメラマンは「仕事だから」と言って匿名性を確保できるが、われわれが同じことをやると、自らの意志に他ならないから、責任を負わされ、こっちも報復で晒されるという問題もある。これに関しては、自分の匿名性を維持した状態で監視カメラにアクセスできるかがポイントになるかもしれないし、技術の発展によって身体の拡張は進み、人間の在り方も組み替えられていくのである。







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