印刷技術など無い頃は暗誦こそが教育だったはずである。
筆写して暗記するのがすべての基本だったはずだ。
今日においては検索すればよく、まったく記憶する必要はないとされる。
頭の中に知識を入れなくても、ネットに情報があるからである。

暗記力(長期記憶の能力)の格差が学歴カーストであるとすれば、その下克上の試みであり、自分の脳の性質に有利な結論に誘導したがるという問題もあるだろう。
おそらく現状においては、暗記する意味がないと主張する階層はAO入試組なのであろう。
そもそも記憶しないことによるメリットがほとんど見あたらないので、暗記がマイナスということはありえず、ある程度公平に言うなら、暗記力の過大評価という問題である。
不当に虐げられていた暗記弱者の救済というか、暗記弱者への逆差別として考える力うんぬんが言われていることが大半であり、基本的には朝日新聞的なユートピア言説と考えていいであろう。
知性のバリアフリーと言うべき問題なのである。
暗記力の欠如で躓いている人を排除してはならないという政治的な正しさである。
暗記力は不要と言っておいた方が政治的にセーフティーであるという問題である。

朝日新聞が好きな考える力なるものは、これなら格差がないということなのだろうが、これに格差があるとしたら、これもまた差別である。
なぜ考える力が差別問題にならないのかと言えば、これはAOの面接で評価されているのであろうし、要はエア能力である。
逆差別政策(アファーマティブ・アクション)として、架空の能力を認めているのだと思われる。

教育から暗誦が無くなり、コピペでよしとする風潮については、このエントリーでは筆を省くことにする。
まず何より暗記弱者への逆差別政策が盲目的に行われていることが問題であり、暗記そのものの価値やコピペで足りるのかという問題は、また別の考察となる。







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