なぜかわれわれは卑怯と言われるのを嫌がるのだが、その妙な倫理観が邪魔なのである。
悪事は平気なのに卑怯は嫌であるらしい。
たぶん卑怯というのは「人間としてちいさい」ことなのだと思うが、これが嫌であるらしいのである。
悪事を働くとスケールが大きいわけではあるまいが、なんか人間性のスケールという概念があるらしく、卑怯とだけは言われたくないという強い感情があるらしい。
悪事を貴族的な行為と見なす風潮はあり得ても、卑劣な行為だけは卑しいものであるらしい。

なぜ清原と後藤と元木をまとめて殴り倒さないといけないのか。
まとめて殴り倒してこそ正義の味方なのであろうが、そのような非現実的な正義はあり得ないわけである。
正義の味方が現実にいないのは、清原・後藤・元木を全員まとめて倒さないといけないという奇妙な倫理観があるからである。

元木がひとりでいるところを殴れるか、が問題なのである。
いろんな意味でこれは出来ない。
まず元木が一人でいる状態でさえ恐いと思うかもしれない。
それに元木への同情もある。
自分は元木より立派な人間であるから、元木のようなクズには同情しなければならないという自負だ。
元木を殴って解決となると、卑怯な気がするのである。

清原、後藤、元木をまとめて倒さなければならないというヒロイズムこそが、克服するべき問題のはずだ。
倫理を問えば問うほど立派な言動が求められ自縄自縛になり、元木がひとりでいるところを殴るという適切な解決法から遠のくのである。

いじめで有名な小山田圭吾も、自分がリーダーではなく、いじめの方法を提案する役割だったと言っているし、やはり清原的な人間は、元木タイプに媚びられて操縦されるのが好きなのである。
清原が単体でいじめを実行するのは、おそらく気恥ずかしいであろうし、やはり元木におだてられるのが大前提である。
元木や小山田のような類の太鼓持ちキャラを気の毒に思う心情こそが問題なのである。
殴るか殴らないかのどちらかしかない。
元木なんぞ殴るにも値しないと格好つけると清原に殴られるだけである。







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