日本の歴史の中で文学的天才と言えば三島由紀夫と空海が思い浮かぶ。やはりこういう天才は、教育がしっかりとした家庭で生まれているのである。三島由紀夫は祖父が官僚として失脚したので暮らしぶりは傾いていたようだが、それでも、祖父から三島由紀夫まで三代東大卒の官僚なわけである。空海(774-835)も家は武士であるが、母方は学者の家系であり、阿刀大足という大学者が空海の叔父であった。空海の家はそこそこ裕福な武家であったのに加えて、学者の叔父さんから勉強を教えて貰っていたのだから、かなり環境に恵まれているのである。空海の漢文の素養のすさまじさも、環境がもたらしたものである。この当時ひとつしかない大学に空海は入学し、勝手に中退して世捨て人となったのだが、31歳になって遣唐使に参加している。このあたりの経緯はあまりよくわからないが、やはり実家が裕福だから何かしらコネがあったのであろう。卓越した書家としての力量に加えて、漢文は天才的でまた会話もかなり堪能だったようなので、小保方さんのケースとはまったく違う。24歳の時に空海が書き記した書物を読む限り、かなり真剣に仏教に取り組んでいたようである。

空海の思想は、この宇宙を大日如来の曼荼羅と捉えることなのだが、これは人間観として極めて適切であるように思える。ひとりの人間がすべてをやるわけではないのだし、それどころか、この世界の中で短い命を与えられて、一度にひとつのことしか出来ないようになっている。この地球上で人間が行っているたいていの行為は他人がやったものである。部屋の中を見渡してみれば、ほとんど全部他人が作ったものである。ひとりの個人は、巨大な曼荼羅のうちの一箇所を演じているだけである。この一回の人生も大日如来のひとつであり、そこに仏性は宿っている。

この空海の思想が人気とは言い難い。やはり人は奇蹟が欲しいのである。何しろ楽園の否定こそが真言密教であるから、そこに優しい嘘はない。死んだら天国の庭園に道重さゆみちゃんがいて、金色の糸で刺繍されたように何もかも都合よく誂えられているに違いないという度し難い妄想を許してこそ宗教である。楽隠居が予定されているからこそ現世という名の懲役にも耐えられる。そのような奇蹟が無く、ただ大日如来の現象として宇宙を考えるのは真理に近いとしても、これぞ無慈悲の極みである。馬齢を重ね、やもめ老人として閑居し、宇宙について考え悟りを開き、決してみずみずしい若さを取り戻せないことを確信するのが愉しいはずはない。それこそ残酷な復讐心をもってして人間存在の虚無を暴き立てるカタルシスしか見あたるまい。

大日如来がどうこうというと難解にも思えるが、要は汎神論であるし、理屈としては素朴である。汎神論は、自分が世界の主人公であるという幻想を打ち砕いてくれるので面白くないのである。わたしが森羅万象の一部でしかないというのは、至極もっともな思想であるが、自分を中心に世界が回っているという天動説を否定してくれるので、決して喜ばしいはずがない。玲瓏たる煌めきを放つ箱船に乗る資格を受けし選ばれた人間であるという幻想を与えてくれないなら、どこに信仰の意味があるのだろう。大乗仏教の極みとして、誰でも同じということであるし、自分だけが例外的に選ばれているという感覚の入り込む余地がない。

宇宙がどれだけすごい力学で動いていようとも、このわたしが選ばれた人間でなく、救世主たらんとすることも出来ず、一人の人間として救われないのなら、宗教的体験ではないのである。この大日如来の宇宙はすごいから、ミジンコのようなあなたもすごいんですと言われても、それはわれわれが宗教に求めているものとは違うのである。

やはり空海の根底は貴族主義である。他の俗塵とはまったく違う内面世界の王者たらんとして、私度僧として勝手に出家したのであろうし、自らの天才性について確信はあったはずである。空海にとって悟りとは、その天才性をもってしてすべてを明晰に見通してしまうことだったはずだ。その透徹たる認識に絶望しながらも楽しむ、知性による暴力であり、ひとりのニヒリストによる悪趣味なのである。







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