なぜ天皇制が世界からリスペクトされるのかと言えば、東京裁判史観を世界が共有しているからである。昭和天皇を無罪にすることはマッカーサーが最初から決めており、そのシナリオ通りに茶番が行われたのであり、その結果が今日の社会である。敗戦国として疚しさを負わされている一方で、天皇制は確実に無傷なのである。あの韓国人や中国人でさえ、天皇制についてはとやかく言えないのである。1945年に戦争に負けて、2015年現在に至るまでの状況を見ると、東京裁判のおかげで天皇制が守られたと言ってよいし、国際社会でもまったく天皇が難じられることはないし、大いなる敬意を払われているのである。マッカーサーが押しつけた平和憲法のおかげで、おまえらが徴兵されることもなかったし、戦争に駆り出されることもなかった。天皇制が守られ、それだけでなく皇室が世界から尊敬され、これだけの長期間に渡り戦争をすることもなく、それでいてマッカーサーに文句を付けるのはわけがわからない。

明治憲法において統帥権は天皇の大権であるから、昭和天皇が大元帥陛下として独裁するのも可能ではあっただろうが、それはまったくやらなかったわけである。昭和天皇が主体性を発揮しなかったのが不作為の罪と言えるかもしれないが、帝国主義の猛威が吹き荒れる中で、スターリン率いるソビエトという圧倒的に畏怖するべき仮想敵が隣にいたのである。安直に平和を主張するわけにもいかない国際情勢であった。

統帥権の干犯という北一輝が考えたロジックが興味深いのは、これは文民統制の否定という文脈で強い効果を発揮したことである。軍部が統帥権を乗っ取るのは何ら問題にされなかった。この奇妙な憲法解釈を昭和天皇が正さなかったことは不作為の罪であろうし、政党政治や議会政治は葬り去られたのである。北一輝はなぜかほとんど関わりがないのに2.26事件(1936年)で処刑されたが、ここで統帥権の問題は問い直されなかった。せいぜい皇道派が追いやられただけであり、軍部が軍事(統帥権)をコントロールすることは変わらなかった。

東條英機は独裁者ではなかったという変な弁護があるが、明治憲法下で独裁者になれるわけがない。軍部の内ゲバで誰が浮かび上がってくるかの問題である。東條英機はエリートの末端であり、トップに立つような人間ではなかったが、彼が崇拝していた永田鉄山(統制派)が暗殺された時は、皇道派の真崎甚三郎に嫌われて九州に左遷されているところだった。そして永田暗殺事件の後に、東條の身を案じた林銑十郎が、東條を満州に行かせる。やがて2.26事件が起こるのだが、東條は満州にいたから何も関わっていないわけである。こうして消去法で東條英機に出番が回ってきたのである。陸軍大臣に推された時も、面倒な役割として明らかに東條は拒否しているが、他にいないと説得されてやむを得ず就任したのである。ちなみに石原完爾を軍部から追放したのは東條英機なのだが、これで石原完爾は太平洋戦争に関わることなく、責任を問われずに済んだとも言える。東條英機は憲兵を使うのが好きであったから、特高警察の横暴も生んだのであるし、東條を弁護する理由はない。ソビエトと共産主義がすさまじい脅威だったことを考えれば、思想弾圧も当然ではあるが、やはり東條英機は私心の多い小狡い人物であったし断罪されるべきである。

天皇を崇拝すると言っても、背景にあるのは軍人の英雄願望である。日露戦争でバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎はロックスターのような扱いになったし、伯爵にも叙せられた。青年将校がテロリズムに走るのも英雄願望であるし、天皇陛下が便所掃除をやれと言っても言うことは聴くまい。あくまで英雄になるための手段なのである。勲章が欲しくて仕方がない人間が血気盛んになっていたのが実情である。

靖国神社は戦後は単なる民間施設だが、もはや朝敵と言って差し支えがない。軍人のための神社である。戦犯に選ばれたような連中は、出世したいとか英雄になりたいとか、そういう下世話な動機が背景にある。このような野心家を祀るのは、やはり靖国神社が、軍人のヒロイズムに共鳴しているからである。靖国神社が独断で戦犯を合祀したのは東京裁判への抗議であろうが、こいつらは天皇より軍人の方が偉いと考えているわけだ。

靖国神社は単なる一兵卒の英霊たちを人質に取っているつもりらしいが、靖国神社に祀ったからと言って、何か奇蹟が起こるわけではあるまい。死は死である。英雄という意味を付与することが靖国神社の目的であり、英雄として死んだという物語がなくてもいいなら他の宗教の選択肢もある。というより、英雄という物語だけが靖国神社の目的であろう。普通に弔うなら靖国神社でない方がいいのである。交通事故で死んだのと同じ扱いでいいのである。安倍晋三が本当に二度と戦争をやるつもりがないなら、靖国参拝はしないはずである。これから将来、誰かを戦地に送るつもりがあるからこそ、そのやましさを消すための靖国参拝なのである。新たなる使い捨ての英雄を必要としているのである。靖国神社に参拝するのは、軍部の指導者としての目線であり、天皇を軽侮するものであるから、これが許されてはならない。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング