もあちゃんが菊地最愛として活動する目処が立たないのは、おそらくひとつの銀河が堕ちたような物語であるのに、世間は何事もなかったかのように動いている。死するのが人間の宿命といえども、あまりにも早々と葬り去られたのであり、記憶の中で永遠に結ばれた黙契のようなものはあるにせよ、そのはかない偶像は曖昧な微睡みのようでいて、ほんの僅かの瞬間に青春の煌めきを見せただけで終わったのである。これからは中元すず香のサイドダンサー以外のことはやれないであろうし、中元の麾下に入るとなれば気儘な発言も許されず、それこそ白目を剥いて横たわっているのと変わりがないから、芸能界の残酷さを骨の髄まで味わうのである。われわれがどれだけもあちゃんを応援して、もあちゃんのファンが膨れあがっても、芸能界という世界ではどうにもならない。老いさらばえ馬齢を重ねもはや立ち上がることも出来ないならまだしも、これから若木がみずみずしく華やぐという時期にいわば終戦を迎えたのだから、枯れ葉が落ちる前の紅葉のせつなささえ見せておらず、その晩秋を待たない夭折の少女の死を看取るしかないのは口惜しさの極みである。もあちゃんが今後の人生を中元すず香のサイドダンサーとして終えることに納得しているのかそれはわからない。菊地最愛としての未来は杳として知れないが、もあちゃんが悲しみにくれているとしたら、われわれ崇拝者はその憂いを共にする。人気がないのなら潔く引き下がる必要があるだろうが、菊地最愛単独公演が行われるのであれば武道館を埋め尽くせるだけのファンがいる現状において、菊地最愛として活動することを断念するのは愛ではないだろう。中元すず香の歌唱力は中森明菜より遙かに上だと断言できるが、だからといって中森明菜のファンを乗り換えさせることは出来ない。これは愛の問題であり、のど自慢大会ではないからである。ひとびとは愛ゆえにもあちゃんを求めているのであり、のど自慢の審査員をやっているのではないから、中元のごり押しに屈するつもりはないのである。もあちゃんはこの人間世界の醜さから美しさまで、すべての情緒を照らし出せるし、たとえばXの曲をカバーするとしたら、中元はさぞかしのど自慢して圧倒的な歌唱をしてくれるだろうが、おそらくもあちゃんの方が楽曲の意図を酌みながら、愛から憎しみまですべてを謳うことが出来る。もあちゃんのその気高さと知性は、人間精神の最高の頂まで達しているのだし、中元のような声量はないにしても、ひとりの天才詩人として透徹した詩境から詠い綴るであろう。菊地最愛という少女はひとまず姿を消していくのであるが、いずれ王都に帰還するのは中元なのかもあちゃんなのか、アミューズが中元の歌唱力を楯にごり押しするとしても、やはり最後に人を動かすのは愛であり、その感情まで変えることは出来ない。







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