われわれは「本当の自分」という言葉を使うのが好きで、これぞあらゆる幻想の根幹でもあるのだが、とはいえ、自分という幻想だけは解体できないのであり、この「自分」というものくらいに厄介なものはない。

空気が読めない人は怒りの感情が強い。
怒りというのは本当の自分そのもののようにも思える。
怒りを爆発させた時、これが本当の俺様だというカタルシスはあるであろう。
そりゃあ感情をぶちまければ、これこそ俺なんだと思うであろうし、すっきりするのだろうが、しかし、これを「我を失う」と表現することも多いわけである。
清原和博や伊良部秀輝が怒り狂うとして、その怒りこそ、彼らの自分自身の叫びなのだと言うことも出来るが、単なる思いつきの言動であるのも確かだ。

怒りが強い人間は、怒らないのは自分を曲げることだと考えている。
怒りを我慢するのは隷従であると思っている。
だが温厚な人は現状を容認しているわけではない。
それに我慢に我慢を重ねて温厚になっているわけではない。
あれこれ事態をじっくり見た上で、何か解決策がないか探しているのだし、そもそも温厚で空気が読めるなら、他人と衝突することも少ない。

自分と世界がズレているかどうかの問題なのである。
ズレがあると、怒りが強くなる。
世界と自分との調整がうまくいかないと、自分が肥大してくるのである。
空気が読めないと、そこからはみだした「自分」が豚のように太って、これが怒りになるのである。
たぶん怒りを我慢するとか吐き出すという発想自体がちょっとおかしいのであり、その二択ではなく、空気を読んでズレを調整する方法もあるのである。
とはいえ「自分」という意識が強固にある人間がそれを和らげるのは難しいであろうし、解決は簡単ではない。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング