われわれは異性を見るたびに、品定めすることにしているのである。
石ころを見てその造型を品評することはないが、異性となるとそいつと付き合ったらという妄想をするのである。
品定めこそが、われわれの存在の根幹なのである。
それによって世界を把握して、世界が出現するのである。
品定めを延々と続けるのが人生であると言ってもいいのである。
品定めが露骨すぎると下劣であるが、しかしどんな上品な人でも品定めはする。
というより、育ちがいい奴らは品定めの反復で選り好みして、アッパークラスの生活を維持しているわけである。

佐々木希が芸人と付き合っているというのが、なぜかなんとなくショックなのである。
わたしは知能が低い女がすごい嫌いなので、佐々木希は憎悪対象と言っていいし、またいくら美人とは言っても、あの胴長はあり得ないし、人類最高の美と言えば道重さゆみちゃん以外にあり得ない。

しかし、それでもなぜか佐々木希のニュースで漠然としたショックを受けるのは、人間が関係妄想で出来ているからなのである。
佐々木希は日本最高の美人という立ち位置になっているのだし、この女とやれるとしたら、とみんなが妄想しているのである。
わたしもおそらく佐々木希に無関心ではいられないのだろう。
有名人とは大衆からそういう目で見られる記号なのである。

そしてここが肝心なのだが、佐々木希も道重さゆみちゃんも、わたしにとって縁がないという点で、同列に並ぶ存在なのである。
仮に道重さゆみちゃんが隣で寝ているなら、佐々木希とかどうでもいいに決まっている。
胴長の佐々木希と違って、あの道重さゆみちゃんのバランスのいい肢体なら、どんな体位でも美しさの極みであろうし、セックスが終わった後でも、類い希な聡明さをもってして楽しい話をしてくれるだろう。
だが、だが、だが、だが、実際には、佐々木希も道重さゆみちゃんも、わたしの妄想の対象に過ぎないという点では同列なのだ。
これがわたしをアンニュイにさせるのである。

女を「石ころ」として見るのは困難だし、関係を妄想してこそ、無機物ではなく、生々しい人間として立ち現れるのである。
たぶんセックスの問題に限らず、われわれはいろんな人間との関係をシミュレーションしているのである。
人間を品定めしてこそ世界である。
そのような想定や妄想がないなら、石ころに囲まれた空間であり、それはわれわれを存在させる世界ではない。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング