人類が70億人いるとして、ほとんどの人とは面識がないわけである。
それでも同一の世界を生きている。
たとえば猫という単語について考えてみる。
東京に住んでいる甲さんの飼い猫と、ニューヨークに住んでいる乙さんの飼い猫。
この二人はまったく面識がないし、生涯会うこともないのだが、猫の飼い主という共通の属性を持っている。
そして、甲さんの猫と乙さんの猫は「猫」という普通名詞で同一性があるわけである。
個体としてまったく別ではあるが、同じなのである。
もしくは甲さんと乙さんがソファーに座っているとして、その「ソファー」は同一性があるわけである。
別のソファーに座って別の猫を抱いているはずなのだが、しかしまったく同じなのである。
われわれはこういう普通名詞の同一性の中で生きており、そこである種の共通体験をしているのである。
決して同じ場所で同じ出来事に居合わせているわけではないのに、猫を飼うという共通の体験をしており、まったく別の個体なのに同一だと錯覚している。
東京の甲さんとニューヨークの乙さんは、まったく縁もゆかりもないはずで、日本語と英語の違いもあるのに、言葉は翻訳可能であり、ほぼ共通の普通名詞を使っているのである。
この普遍的な同一性こそが人間であり人類なのである。
猫に個別の名前を付けるとしても、結局は猫という普通名詞の存在なのである。







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