たぶん誰でも考えたことはあると思うのだが、宇宙が有限だとするとその有限の先の空間がどうなってるのか謎だし、無限だとするとその無限の空間というのも謎である。
この問題はいくら語っても答えが出ないので割愛するが、どうしても疑問に思うわけである。

普段のわれわれが三次元空間に疑問を持たないのは、まずは脳がシングルタスクであるからである。
どうせ脳の仕組みとして一度にひとつのタスクしか出来ないのだから、三次元の座標の一箇所に肉体が固定される仕組みでも、あまり変だとは思わないわけである。

多忙で身体がひとつしかないのがもどかしいという人でも、身体がふたつになったらどうなのか、厳密に考えているわけではない。
脳の仕組みとして、シングルタスクなのだから、身体が二つになろうが、やはりひとつのことしか出来ない。
たとえば目は二つあるが、右目で医学書を読んで左目で法学書を読むことは出来ない。
もしくは気色悪い喩えになるが、目玉が身体に30個付いていたら30冊の本を同時に読めるかというと、それはあり得ない。
人間の脳は一度に一冊の本を読むのが限界である。
右目と左目で別の本を読むことすら出来ないのだから、30個の目玉があっても無駄である。
脳の仕組みからして一冊しか読めない。

この三次元空間で、ひとつの時間においてひとつの場所にしかいられない制約があるとしても、どっちみちシングルタスクしか出来ないからさして問題はないのである。
人間の脳がすごい高級に進化して、同時に二つのことを、もしくは10とか20のことを考えられるようになったら、肉体が一箇所に固定されていることに重大な疑問を持つはずなのである。

もしくは五感の問題にしても、仮に千里眼が使えるとして、かなり遠い場所の様子まで感じ取れるなら、この肉体は一体なんなのだろうと疑問を持つであろう。
肉体はただひたすらシングルタスク、三次元空間の一箇所の存在、その周辺だけを把握する五感、そういう制約なのだ。

空海の真言密教の大日如来の説明をして、まず理解してもらえることはないのだが、やはりわれわれは、三次元空間の一箇所に存在しているという在り方に馴染みすぎている。
一箇所でひとつのことをやる、というのに馴れすぎている。
いや、馴れないようにしてもそれしか出来ないので、大日如来の説明は困難を極める。
もちろんわたしだって理解はしていない。
数多の思考や存在が曼荼羅のように宇宙を成している状態なんてイメージできるわけがない。

われわれは触覚によって、三次元空間の存在を信じている。
たとえばコンクリートの壁に触ったら固いと思うし、(壊したりよじ登ったりしなければ)その壁の向こうには行けないのだから、壁の実在性は信じるわけである。
三次元空間は確かにあり、その壁も確かにあるのである。
少なくともこの地球で行われている現実というゲームのルールとしては、絶対的にあるわけだ。

この論考に特に結論はない。
三次元空間の一箇所だけに肉体が存在して、そこから五感で周囲を見ているのが人間であり、それだけなのである。
ここから汎神論とか大日如来の話に広げたとしても、それは人間に理解不能であることを強引に記述することにしかならない。
敢えて強引に書き記すことも気が向いたらやってみたいが、おそらく稿を改めて述べる方が適切であろう。







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