われわれは他者として存在しているわけである。
自分として存在しているというのなら、それは嘘であろう。
他人の前では、あくまで他者として存在しているはずである。
本当の自分というのが確固としてあるわけではないが、ともかく、決して自分としては存在しておらず、あくまで他者として存在している。
他者の前では他者であるしかないので、本当の自分は疎外されていく。
この他者性こそが現実の根幹なのである。
一人だと自分であるつもりでも、他者の前に出た瞬間に、他人の顔を作らざるを得なくなる。

20世紀とはなんぞやと言えば、新聞によって作られた民主主義であった。
思想だけは民主主義であったが、なにしろインターネットがないから、2015年現在より、他者性が強かったのである。
究極的には本当の自分というのはなく、自分というのも、たまたま育った環境に応じて生成されただけであり、産院で取り違えられていたら、まったく別の内面を形成していたであろうが、とりあえず他者性とはまた別の本当の自分があるのも確かである。
20世紀は民主主義はあったが、個人が情報を発信する手段に乏しかったので、新聞に代弁されて存在するしかなかったのである。
勝手に代弁されて踊らされてもどかしい思いをしながらも、新聞が煽動的に作り出した時代にお付き合いするしかなかったのである。

ネットが普及して素晴らしい世の中になったわけではないのだが、大衆として操作される対象にはなりづらくなっている。
直接的に他人と会うと儀礼的な会話にとどまるが、ネットなら良くも悪くもそのまま出せるからである。
この出されたものの品質が低いのは、それが人間のレベルであり、仕方がないのである。
人間の頭の中はこんなものである。
関心が一極に集中せず、クラスタに分解されてしまうのは、これがネットの現実である。
関心と無関心が綺麗に色分けされているわけである。
大衆として熱狂するのが難しくなったのは、なにかしら盛り上がりに欠ける社会ではあるが、新聞に対抗する冷静さを獲得したとも言える。







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