新聞という大衆煽動のための怪文書は、最初から最後まで全部読むようには設計されておらず、拾い読みや流し読みを前提としているわけである。
大衆が新聞に煽動されていたのは、やはり読みやすかったのであろう。

ツイッターも流し読みで平気なわけである。
過去のツイートが辿りづらいし、流し読みを前提に設計されているわけである。
これが大衆を引き寄せたのである。

逆に意識の高い人のためのツールだったRSSリーダーは衰退した。
溜まったエントリーを読むのが苦痛という感情は誰でも持ったことがあるはず。
隅から隅まで読まなければならないという使い方が前提とされていたから、これは滅びる。

強迫性障害というのは妄想ではない。
誰でも外出する時は、なんとなく泥棒や火事が不安になるだろう。
だが不安を募らせてもどうなるものでもないから、ごく当たり前のように出かける。
強迫性障害は、こういう小さな不安が巨大化する症状である。
正常な人が何となく不安に思いながらも馬鹿らしいと打ち消していることが、これ以上ないくらいに膨張し、身動きが取れなくなるのである。

読書恐怖症というのが強迫性障害にある。
完全に理解しないと先を読めないという症状である。
これも正常な人が何となく持つ感情である。
正常な人も、集中力が高まったら本を読もうと考えているから、いつまでも積んでいるわけだ。
強迫性障害の読書恐怖症ほど酷いのは珍しいだろうが、本を読むからには集中するべきという固定観念は誰にでもある。

本は一度読めば十分という人がいるが、これは理解できない。
本当に価値の高い本なら何度も何度も再読するに決まっている。
だからもっと気軽にページを開いて、何となく拾い読みすればいいのである。
精神統一して決意を固めたら本を開くということだと、なかなか読めないであろう。

学校教育の性質からして、読書は集中力MAXで行うべきであるとされる。
流し読みや拾い読みは教育現場では好ましくない。
現代文のテストを受ける時のことも考えると、やはり集中力を高めて読書ということになる。
精読出来ない人が拾い読みしてもあまり意味がないであろうし、拾い読みや流し読みを学校で教えないのは当たり前である。







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