20世紀はとにかく新聞社に煽動されまくったのであるし、ひとびとはメディアを持たないから反論も出来ず酷い目にあったわけである。戦前の日本社会は言論の自由がなかったとされるが、新聞社が煽っているうちに手が付けられなくなっただけである。1905年に日露戦争で勝って新聞が売れたから、軍人をロックスターのように祭り上げて煽り立てたのである。戦争で新聞が売れる。新聞が売れるから戦意高揚に徹したのである。日露戦争の勝利までは日本は民主的な国であったし、やはり新聞社が軍部を増長させたのである。

2015年現在においてわれわれはインターネットを手にしており、ようやく大衆煽動から這々の体で逃れつつある。これは降って湧いたような僥倖であり奇蹟の法雨であった。大衆が決起した革命ではなかったのである。技術革新が遅れていたら、未だに毎朝配達される新聞を心待ちにして煽動されていたわけである。新聞に対して手も足も出なかったところに、たまたまパソコンやインターネットを発明してくれた人たちがいて、われわれは新聞社の俘虜の立場から解放された。

未来検索ブラジルによる炎上工作が露見した事例などを思い起こせば、ネットで集団が盛り上がっているのは何かしら操作が働いている可能性がある。ツイッターはフォローした人しか見えないのでステマが難しいが、ひとつのスレッドに多人数が集まるフォーラム形式はステマがやり放題というだけである。メディアがあるところに大衆操作があるのは言うまでもないが、これはこれで別問題であり、旧習に晏如とするわけにはいかない。

新聞社の権力のすべてが崩壊したわけではなく、弱体化したに過ぎない。SNS時代を迎えてからのネットは新聞社御用達の文化人になりたい人で溢れている。ネットにはよくもわるくもステータスが無くて権威がない。文学賞で1000の応募があるとして、賞をもらえるのは三作品くらいで、997作品は没である。ネットだと、こちらの997作品の作者の人たちの頑張りが凄いので、権威とは逆の世界である。誰でも発信できるという素晴らしいシステムであるし、いわば997人の側のためのツールであるから、全体の品質が低いのは甘受しなければならない。決して香り高い薔薇が咲き誇る庭園ではないのである。

この穢土から一歩抜け出ようとすると、滅ぶべき新聞社の権威に縋ろうということになる。新聞社に権威を与えてもらえると、これは確固とした社会的なステータスであり、それを元に講演会をやったり、有識者会議に呼ばれたり、その類の文化人活動での収入が期待できるわけである。ネットで実名と顔写真を晒して活動している人のほとんどはここを目指している。文化人は新聞社の題詠歌を詠む宮廷歌人であり、大衆の代弁者である。インターネットがブームになる直前まで、宮台真司が女子高生の代弁者として引っ張りだこだった。もはやわれわれは代弁者など不要であると明確にしているので、本来なら彼らは大衆煽動の罪を背負って流罪に処されるべきなのだが、まだまだ文化人という輩は命脈を保っておりいろいろ旨味があるので、悪夢の20世紀に還ろうとする人たちがいる。文化人を目指したらなれるというわけではないので、なり損なって破綻し蹌踉する事例も多々見受けられるが、その生きる屍が鈴なりとなる寂寞たる情景もひとつの現実なのである。

われわれは誰かの代弁をしているのではなく、パーソナルな記述をしているのであるから権威など発生するわけがないし、これは時代相の問題ではなく、誰でも発信できるという技術の根幹に根ざしている。社会的な相貌を持つ必要はあるまいし、このディストピアへの愁傷を詩想とし、現世厭離の涯の隠者文学を縷々と書き綴れば充分であろうが、そこに入り込んでくる大衆煽動への警戒を怠ってはならない。顔出しの文化人は新聞社という匿名組織の包装紙であるから、そのようなお飾りになりたがる人間には不信感を持たねばならない。AKBを応援している文化人が電通から頼まれてやっている可能性は充分にあるわけである。







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