2015.06.23
武藤彩未=婚活おばさん


彩未ちゃんのカラオケライブの先行に一箇所だけ申し込んだらごく普通に当選していたので、応援している人の少なさを痛感するのだが、こうやって没落していくのはやはり美人が出てくるかデブが出てくるかという問題があり、ほとんどがデブなのだから目の保養と逆の苦痛を体験させられるわけである。たいていは社交性があると、自分の周辺がくっきり見えている。彩未ちゃんはかなり社交的なのに、なぜか盲目的であり迷走しているわけである。若い女だと、決まり事のように美人という記号性を持っているが、その論を俟たないはずの前提も欠いている状態である。4月29日に痩せた時は透き通る肌質の美人だったし、骨格も綺麗であるから、本質的に劣化したわけではないが、とにかくデブなので仕方がない。愛嬌のあるデブならまだいいが、まったくかわいげがないし、いかにも現実の壁にぶつかって病んでいる根暗で醜いデブなのである。彩未ちゃんは夢一杯の乙女だったはずだが、昨今の窮状により、極めて巨大な虚無と絶望に直面している。これはアスペルガーにありがちであり、自分の中での思いこみで現実にぶつかっていき、盲いた人間に似つかわしい挫折を繰り返すのだが、彩未ちゃんにアスペルガーの要素は皆無だと思われるので、現実認識の混迷が不思議である。なんか40歳を過ぎて婚活とか言っているおばさんに似ているのである。戦況を眺めた上で臨機応変に戦略を練るのではなく、ただひたすら願望だけがある。もう19歳なので骨端線はとっくに閉じているから、骨格はこれで決まっており、動かしがたい美人として完成しているのだが、自分の中の暗澹たる闇を育てるかのように、すべてを灰燼に帰するインフェルノというべき豪奢な脂肪がなめつくしていくのだから、やはり事前に築き上げていた理想が相当に高かったのだと思われる。芸能人だから当然とはいえ、やたらとプロモーションのハードルが高すぎた。これはアミューズの担当者の問題でもあるし、それにある程度は彩未ちゃんのお花畑な気質に合わせたのだろう。19歳なのに40過ぎて婚活してる女子の乙女心を持っているのは、現在の苦境からして、行き遅れたという感情が強いのかもしれない。水野由結ちゃんとは鉄の絆があるはずで、ゆいちゃんも何とかして宣伝したいと思っているはずなのだが、それでも擦り寄っていて見苦しいと言われてしまうのは、中元陣営の工作ではあれど、どうしても婚活おばさんが釣り合いもしない相手に擦り寄っている印象を与えてしまうからであろう。彩未ちゃんは婚活おばさんのような身の程知らずから脱却するべきである。40過ぎた婚活おばさんは19歳に戻れないが、彩未ちゃんは19歳に戻れるので、非現実を蹌踉し終の棲家とするには早すぎる。彩未ちゃんは百人一首を暗誦してるはずだが、藤原定家が選んだ人物はたいてい不幸である。成功の規模が大きい人を集めた歌集ではないし、痩せてる時の彩未ちゃんなら小野小町のように零落を嘆く資格もあるであろう。デブだと敗者としての美学すら演じられない。婚活おばさんのようにゆいちゃんに縋るのではなく、たとえ敗者として退場するとしても、ゆいちゃんが誇りに思える人物でいることが何よりも大事であろう。歴史は勝者が作るというが、敗者だって人気がある。平家物語で言うなら木曾義仲のように滑稽な退場をするのではなく源義経のように散らんとするべきだろう。ゆいもあが選者となって歌集を編むなら、彩未ちゃんは真っ先に載る人物であるはず。ゆいもあはCDを100万枚売ったというような理由では判断しない。彩未ちゃんの敗北は必定であるとしても、ゆいもあのような世界史的人物から強い信頼を勝ち得て、その青春の煌めきと遺失の痛みを語り継がれるとしたらそれ以上の栄誉はあるまいし、もはやここからは敗者の美意識の問題であるだろう。百人一首を忘れているならもう一度読み直すべきである。かつての痩せた立ち姿と凛とした人間性を取り戻し、あの絶佳たる歌唱力とMCのスキルのすべてがひとつとなり像を結んだなら、たとえ敗者として死するとしても、武藤彩未という存在は、ゆいもあが伝説として語り継いでくれるであろう。粗衣をまとい世間から蔑まれていても、人類の頂点に君臨するゆいもあだけはちゃんと見ているというのは、現代の貴種流離譚であるように思える。とはいえ、これはあくまで4月29日の容姿に戻った場合の話であり、やはり相変わらずデブなんだろうし、ライブにもデブで出てくるだろうから、武藤彩未はデブ。痩せろ。という結論に至るしかない。
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