かつては精神と肉体を区別していたわけである。
肉体を交換したいというのはわれわれの根強い願望であるから、その願望に従って切り分けていた。
だが、精神と肉体の区別などあり得ない。
五感についていうなら、これはすべて肉体の機能であり、肉体と精神を切り離したら五感もすべて無くなると考えなければならない。
心の目という安易なものは誤謬である。
肉体を切り離しても視覚は残るという都合のいいことはない。
おそらく、肉体と精神を峻別する場合は、何かしら透明人間のような状態をイメージしているのである。
普段のわれわれにとって肉体は拷問器具であり、肉体の制約の中で悶絶するのが人生なのだが、これを逆転させて肉体を自由にしたいという願望が精神という概念を夢想させる。
肉体には快楽と苦痛がセットされていて、苦痛の方が大きいのであるが、精神体になれば肉体の便利な部分だけ使って自由自在になれるという妄想。
実質的には超能力者になりたいということなのである。
心の目を説く人間が、実は万能の肉体を求めているという問題である。
肉体が消えると(感覚器官が消えるにも関わらず)認識の範囲が広がるという絵空事。
70億人が超能力者だったらどうするのかという懸念はないらしい。
制限された肉体でお互いに向き合っているからこそ自分が存在し得る問題。
この自分というものをどうやって消すかが課題なのだが、これを温存しようという発想だと心の目という迷妄が生まれる。
肉体が消えて精神だけ残るなら、苦痛が消えるのと同時に快楽や世界認識も消えるはずなのだが、そこに至れないと、死後に霊魂が残るという妄執を抱く。
肉体感覚のすべてが消え去るのが死である。







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