国立競技場の問題で暴動が起きない。怒っても無駄という考えが浸透しているし、怒りは自我を強めるだけであるから、能う限りこれを弱めて常識人たらんとしている。われわれはひたすら温厚であろうとしているので、穢土に横たわる窮民として無聊を託っているのに公家の真似事をして何もかも他人任せである。この十年か二十年くらい、正義感で怒り狂う人間をアスペルガー症候群として断罪してきた。峻険なる山を登攀しようとする者を思いこみの激しい人物として叩き潰した。怒りとはターゲットをロックオンすることである。正義をひとつに絞り込むことである。この融通の利かない物事への接し方が徹底して葬り去られたので、どっちでもいいという常識人をたくさん生んだ。自らの考えを決め込まない方が、変化を続ける現実に柔軟に対応できるからだ。その副作用として、このような何千億円もの無駄遣いが行われようとしている。常識人と書いて傍観者と読む。怒りと訣別し自我をゆるめた静謐の世界において、戦慄するべき蛮行がなんら騒擾さえ起こらずに決行される。たとえば下村博文に対して暴言を吐くことが必要であるとしても、これもネットで迂闊なことを言うと警察に逮捕されるリスクがあるから他人任せである。下村に愛人が100人いることは書いても大丈夫だが、何かしら脅すような文言が含まれていたら当局の取り締まりを受ける。自分自身の中に生まれてくる正義感を否定している世相であるから、傍観者でいようという感情が先に立つ。特高警察や治安維持法もないのにこの状態というのは、いろいろと考えさせられる。余塵収まらない乱世なら、一旗揚げようと決起するのだろうが、軍記物語が完結した虚無の宿世にそれはない。厭世主義を極め無常観を育んでいるわれわれの手には掲げるべき錦旗がない。国立競技場問題はゼネコンにとって死活問題であるのと比べると、一般の国民は死活問題ではない。消費税がまんべんなく取られて、あれこれいろんなことに税金が使われるのだから他人事である。底辺でも藤原道長より便利な生活をしているであろうから、暗澹たる最下層に横臥しているにも関わらず天人の奏楽に浴している気になり、この無明のディストピアを作り出した主犯を捜し出そうという動機を欠いている。安倍晋三の愚妻が元電通社員なので、このようにおかしなことが立て続けに起こっている。安倍晋三が電通と気脈を通じているのは確実なのだが、わたしがそれを書いても誰も信じない。真相を目撃するまで信じないというのだが、真相を知る人間は真相を書けないので、可能性が高いことは決めつけなければならない。わたしは安倍晋三と電通が話しているのを目撃したわけではないが、見なくてもわかる問題である。安倍晋三と電通が話し合っている場面に立ち会う人間が真相を暴露するはずはないのだから、われわれ第三者は想像で凝視し、見ていない光景を見るしかないのである。見て無くても決めつける必要があり、目撃したと断じる決断主義が求められる。







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