2015.07.08

多動の楽しさ

多動はわかりやすく言えばピンポンダッシュである。
ピンポンダッシュを飽きることなく延々と出来るというのは、なにかしら価値観の問題も関係している。
生まれつきの障害というよりは、それをおかしいと思わない感覚が根を張った問題である。
圧倒的な自覚の無さのかなりの部分は家庭環境であろう。
親を交換するというのが極めてナンセンスであり得ないため、親の価値観がおかしければ障害と同じ、とも言える。
多動とは要はストレス発散で騒いでるわけだから、本当の快楽とはまた別であるし、なかなか本人も快楽の自覚がないと思われるが、やはり快楽なのである。
パチンコが楽しいという感覚で多動しているわけである。
くだらないことがくだらないと思えない問題。
これが生まれつきの脳障害だとするなら、産院で取り違えられて金持ちの家に育っても必ずADHDになるはずだが、おそらくそうではないだろう。
くだらないことへの親和性が強いのである。
落ち着きのある人間からしたら馬鹿馬鹿しくて仕方がないことがADHDには楽しいのだから、これは価値観の違いである。
本物の障害ならひとつも楽しいはずがない。
半身不随になって楽しいとか、そんなことはあり得ない。
本人が面白くても端から見ていて面白くないということに気付くかであろうが、このギャップを埋めることは容易ではない。
今まで面白がってやってきたことが、他人から見てつまらなさの極みだったと認めるのは、かなり難しいはずである。
多動をやめるのはこれまでの人生の否定である。
馬鹿なことを面白がっていた自分が誤りであり、他人の白い眼の方が正しかったという事実を認めることであるから、言うなれば、過去の自分を白眼視することである。
なかなかこれは出来ないであろう。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング