われわれのすべては人生と生活のために捧げられており、それ以外のものは存在し得ない。
すべてが有用性・無用性によって判別される。
五感が検出しないものは存在してない、というのが動物である。
人間は科学があるので、五感が検出しないものを理屈で考えたりするが、とはいえ、原則的に五感が描き出す世界が「ある」のである。

ガラスのコップを落として割ってしまったら捨てるわけだが、これは人生と生活にとって、有用性から無用性に変化したからである。
その有用性・無用性は、あくまで肉体にとって便利であるかどうかを考えている。
なぜ割れたコップを捨てるのかと言えば、人間が水を飲むために使えないからである。
割れたコップの「使い道」が思い浮かばないから捨てる。

理性とはなんぞやというと、結局は肉体の快適さを計算する能力である。
長期的な快適さは理性的であり、短期的な快適さは欲望というだけなのである。

割れたコップを捨てるのは、無用であるのに加えて、危険だというのもある。
床に放置しておいたら、明らかにまずい。
なぜ人間が健康でいなければならないのか根源まで考えると難しいが、なにしろ不健康の苦痛が極めて大きいので、足にガラスが突き刺さってそのままというわけにはいかない。
無痛病というのもあるわけだが、痛くなくても肉体は故障するので、人生と生活にマイナスになれば心の苦痛はあるだろう。
足に麻酔をすればガラスが突き刺さってもいいという話ではあるまいし、快楽と苦痛という基準からは逃れられない。

理性とか人間精神とか高尚なるものが肉体を超越しているなら、足にガラスが刺さっていても何ら痛痒がないはずだ。
やはり肉体と精神は分離してない。
理性とは苦痛への恐怖である。
虫歯にならないように歯を磨くのが理性である。
理性があると立派な人間と言われるが、未来の苦痛を畏れて、長期的な観点から考えているだけである。
理性は歯磨き以上のことはしていない。







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