頭で考えるだけで部屋の掃除が出来たらいいだろうと思うわけである。
なぜそう思うのかと言えば、掃除が面倒だからである。
肉体が苦痛だからである。
身体を動かして部屋を掃除すると考えただけで重苦しい。

では、仮に道重さゆみちゃんとセックスが出来るとして、肉体を動かすのが面倒だから、頭で考えるだけでセックスしたことにしたいかと言えば決してそんなことはあるまい。

つまり、負担だと思う感情の問題である。
負担だから負担だと言うしかない。
労働は苦痛だが遊びは苦痛ではないという単純な話である。
掃除よりセックスの方が肉体は大変だと思うのだが、しかし、快楽-苦痛の原理は決まっている。

食べるのは楽しいが食器を洗うのは楽しくない。
これも快楽-苦痛の問題である。
報酬がなければ動けないということだろう。
人間は報酬で釣る必要がある。
報酬を提示しないと人間を動かすことは出来ない。

ボランティアで街のゴミ拾いをするのが楽しいこともあるだろうし、理想主義の快楽だって無くはない。
その楽しさに頼ったのが共産主義のユートピア思想なのであるが、チェ・ゲバラだって、わたしの家の食器は洗ってくれないだろう。
ゲバラにとってそれは理想ではないからである。

部屋が綺麗な人は、その人なりの美意識があるのだろうし、それが報酬なのである。
小綺麗にしていること自体に価値を置いている。
お洒落をする人は、それが快楽だからやっているのである。

良くも悪くも人間はロボットにはなれないのである。
快楽-苦痛の原理は曲げられず、掃除はめんどくさい。
このめんどくさい感じこそが人間の自由なのである。
部屋を小綺麗にすることに価値を見いだせなければ掃除が出来ない仕組みなのである。
掃除がめんどうで身体が動かない人と、インテリアに凝って小綺麗にしている人も、同じ人間なのである。







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