ネット初期の頃はアングラ文化が中心だった。歯の根が合わないような恐怖に震え、クリックひとつでさえ躊躇われ、心臓が早鐘を打つ世界であった。他人を追い詰めて血祭りに上げるくらいは造作もない凄腕ハッカーの集まりという世界観だったのである。プログラムが出来るという詐称は普通であった。最近の若者だと小さい頃からパソコンがあるので、プログラムが出来るのはさほど自慢にはならないが、それより前の世代においては稀少性が強いのでかなり憧れの対象だったのである。津田大介もSNSでブレイクするまでは貧乏ライター時代が長いので、かつてはアングラ文化の中で「本当はすごい人たち」の輪の中にいたわけである。津田大介自身が凄腕のハッカーだという詐称はしてなかったと思うが、だいたいその類のパソコンの達人で他人を抹殺できると称する恐いひとたちの中にいたわけである。その結果として誕生したのがネットランナーというゴミ雑誌であり、すごい人たちの貧相な実像の惨めさたるや縷々と述べる必要もあるまい。津田はこの頃からSNS的なところがあったため貧乏だったのである。やまもといちろうは津田大介より華やかだった。やまもといちろうはアングラ文化の人脈はなかったが、2ちゃんねるの共同運営というポジションにありついたのでその手の文化コードの恩恵は受けていた。「本当はすごい人」というアングラ文化の世界観の恩恵を受けて、100億円という設定で扶桑社から本を出すことも出来た。アングラ文化ではプライバシーが極めて重要とされており、身元が特定されたら死と考えられていたから、守秘義務という大義名分はかなり通用したのである。SNS時代を迎えてからは、守秘義務があるから言えないというスタンスで凄い人が出てきても、ああ察しということで与沢翼と同じ枠にいれて黙殺となるだろうが、アングラ文化では大半がそういう人たちだったのである。津田大介もなんか中身のない政治活動をやって胡散臭いアピールはしていたのだが、おそらくこれは100億円と違って許容範囲なのだろう。結局のところ、ネット黎明期のアングラ文化がずっと続くわけが無く、あれは初期の頃の手探りだっただろうし、お化け屋敷を造って本気で怖がっていた愚行であろう。ニフティフォーラムが永遠に続いてシスオペで一生食えると思っていた人もいたみたいだし、ある種の文化が流行っている間はそれで永遠に稼げると錯覚するらしい。津田大介が永遠というわけではあるまいし、たとえば現状のネットだと権威のある学者はほとんど出てこないが、そのあたりの第一級の頭脳がネットで活動する流れが勃興したら、現在のネット文化人はだいたい淘汰されるであろう。いつでも時代は流転し、適者として生き残れない者たちは潰走し、新たな戦災孤児が生まれていく。







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