われわれは死が恐いと考えているが、実は死体が恐いだけである。死んだら水蒸気のように蒸発して消えるのであれば、気軽に自殺する人がたくさんいるはずだ。とにかく死体はグロテスクで仕方なく、そのおぞましさに抗えない。美しさもしくは醜さは脳の演出である。死体の腐臭を考えて貰いたい。究極的には物質そのものに臭いがあるはずがなく、あくまで嗅覚がキャッチするとおぞましい臭いが脳内に発生するだけである。死体のグロテスクさは演出である。だがこれはわれわれの感情や感覚を総動員した現実という舞台演出の根幹なのである。死体はグロテスクである。これを覆すことはできない。137億年前から決まってはいないだろうし、あくまで人類の脳の設定の問題だが、なにしろ死体はグロテスクなのである。美-醜という演出はこの現象世界を感じ取る本能に強く根ざしているから、これを迷信として片付けて蒙を啓き、死体は恐るるに足らずというわけにはいかない。だからわれわれは寿命で死にたいのである。あたかも眠っているかのような安らかな死に顔を求めている。寝ているのか死んでいるのかわからないような死体の状態が理想と考えている。踏みつぶされた昆虫の死骸のような姿では死にたくないのである。どんな死に方でも、死んだら水蒸気のように蒸発するなら、寿命で死ぬことを求める理由がない。この世界から綺麗に消えるならいいが、絶命の瞬間の姿として轢死体をさらすのは避けたい。肉体の左右対称を美として考え、素肌に美しさを見いだし、そこに収まっている臓器については考えないことにしているのに、千切れた躰から臓器が飛び出し、すべての有機的な繋がりを削ぎ取られたおぞましい肉片として大地に横たわるのは、いかにも無惨な結末であるし、自らが死んだ後など認識し得ないとはいえども、この地球の美観を損ね、それに立ち会わされて嘔吐している他人を思い浮かべるだけで心苦しい問題である。死体が水蒸気として霧散しないからには、寝ている間に老衰で死ぬことを模索するしかあるまい。







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