普通の精神状態ではデモに参加するなどあり得ない。
何らかのファナティックな感情が必要である。
利益のために圧力団体を作るなら正常な心理だが、損をしている大衆がデモをやるとなると、どこかしら不合理さが必要である。
だからこそたいていの人は平常心を維持するために政治的無関心になる。
ここが政治運動の難しさである。

政治学というのが本当に無意味なのは、政治理念が物理学ではないことだ。
よりよい物理理論は社会の利便性を上げるが、政治思想にはそれがない。
アインシュタインの相対性理論のおかげでGPSの緻密な計算が出来るというような断固たる正解が政治学にはない。
あくまで思想が流行るかどうかが肝心であり、理論武装は余興である。
大衆をどれだけ煽動できるかの話である。
支配する口実。
破壊する口実。
根っこが空疎であり、どのようなことでも根拠がないだけに、理論武装は不可能とも言えるし、とても容易いとも言える。

われわれは儀礼的無関心の中に生きているし、そうそう他人の内面には踏み込まないことにしている。
こういうわれわれが連帯するとなればファナティックになるしかない。
たいていわれわれは薄く広く損をさせられているのであり、誰かの利権のためにまんべんなく1000円を失っているという話だ。
たかが1000円のことで血涙を流して死生観や世界観を問い直し、革命運動にコミットして遠大な理念を語るとなると、どこかしら嘘が出てくる。
少人数で巨額の利益を得ているコアな集団の冷静さとは真逆なのである。

儀礼的無関心によって自分と他人との間の境界線を引いているとすれば、他人との連帯などそう簡単にはできない。
損をしている連中が政治的デモをやるなら、宗教のセミナーに参加して胸襟を開きすべてをさらけ出すような異常心理が求められる。
利益がないのだから空虚な理念しかないのだし、カール・マルクスは宗教を阿片に喩えたが、地上の楽園を求めたコミンテルンの末路を思えば、この穢土に版図を広げる俗塵を振り払うべく決起するのは、悪魔崇拝者としてファナティックになることである。
科学は進歩しても人間は進歩しないので、人文系は潰して理数系だけにするべきなのである。
人間そのものについてはあきらめが肝心である。
人間が進歩するという虚偽宣伝は悲劇しか生まない。







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