たとえば何かのソーシャルゲームに夢中であるとする。
それがいきなりメンテということで待たされるとしよう。
その場合に、一時間待つのと三時間待つのでは苦痛の量が違うのであろうか。
一時間と三時間では人生にとっての重大性が全く違うというなら話は別だが、ここではどうでもいいことを待つケースとして考える。

前にもこんなことがあったと回想するなら変わらないであろう。
ゲームのメンテで待たされた苦痛など、現在の観点から見たら過去の苦痛は0である。
人生において死ぬまで反芻するようなトラウマもあるわけだが、どうでもいいことを待つというのは、その対象にはならない。
待つのが終わればたいていは雲散霧消してしまう。

われわれは現在しか生きていない。
現在をループしているわけである。
刻々と過去に消えていくので、理屈で考えれば一時間でも三時間でも同じである。

これは精神的な飢餓の問題であろうし、いわばダメージが残らない飢餓状態であるが、人生と無関係ながら人生の本質であるようにも思える。
現在偏頭痛だとして、それに一週間前から悩まされているのと50年前から悩まされているのとではどういう違いがあるのだろう。

偏頭痛に関しては、人生への悪影響の蓄積ということで説明が付くかもしれない。
偏頭痛で人生を狂わされて、その結果が現在に立ち現れているとも言える。
ゲームのメンテ終了を待つというどうでもいい事例に戻すと、これは今ひとつわからないのである。
人間は待つのが苦手である。
ADHDなら気が短いし、個人差もあるだろうが、待つのがまったく平気という人もさほどいないであろう。
またストレスの高まりというのもある。
おあずけの状態で焦らされているのだから、ストレスは溜まる。
欲求が高まった状態で待つわけである。

過去から現在から未来へと直線的な時間の中にわれわれは存在している。
果たして一秒前さえ存在したかどうか本当はわからないのだが、時間を連続的に解釈するのが脳の仕組みなので、なんら疑問に思わないのである。
待つのが苦痛であるのも、その時間の重みの表現のひとつかもしれない。







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