威張るというのはよくない行為である。
だが、誰も威張らない社会というのはあり得ない。
立場を教えるということである。
威張り散らされたり侮辱されたりすることで、自分の力の無さを知るわけである。
この立場というのは当然ながら政治的であり、時代が変われば変わるものである。

昔は医者が威張るのが普通であり、患者はぺこぺこしていたが、ここ最近の世情だと、血相を変えて医者に食ってかかる患者は普通であろう。
教師も少し前までは体罰は普通であったし、生徒に難癖を付けては殴りつけていたのだ。
これは医者や教師が父権を持っていたからである。
父親としての力があったのだ。
2015年現在の感覚だと、医者なんぞ赤の他人に決まっていると思うわけだが、これは父というシンボル性が弱まったからである。
昔の医者や教師が偉かったのも現実だし、今は偉くないのも現実である。
現実とはそういうものであり、普遍のものではない。
医者がエリートで高収入というのに変わりはないので、社会的地位の高さに変わりはないが、単なる他人ということになった。

われわれは自分の父親と他人の父親を混同したりする。
もちろんまったくの赤の他人であることは承知しているが、どうしても父というシンボル性によって、なにか同一人物のようなイメージを持ってしまう。
父というシンボル性を持った赤の他人に抑圧されることが昔の世の中ではよくあったのである。







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